動物の薬について
信頼している動物病院で薬をもらってその成分や副作用を調べますか?
その薬が人間でも使われているとしたら,ヒトでの副作用も調べますか?
多くの方が「いいえ」と答えるのではないでしょうか。「調べるといってもどうすればいいの?」と思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。でも,それがこの上なく大切な家族の命に関わるとすれば…?エナカルド錠。この薬の名前をどうか覚えておいて下さい。

私はヨークシャー・テリア島オーナーの姉です。薬剤師免許を持ち,外資系の製薬会社で17年間動物データから医薬品の安全性を評価し,ごく最近,ヒトの安全性評価に担当を移しました。でも,私がヒトでの副作用を調べようと思いついたのは,もう本当に症状が重くなってしまってからでした。
もうすぐ12歳になるヨークシャー・テリアの「ぼんちゃん」に,仔イヌの時からみてもらっている獣医の先生が,「小型犬は心臓病になる確率がとても高いし,すでに心臓の雑音が聞こえているので,予防をかねて薬をのませておきましょう」と言って,エナカルド錠を処方したと聞いた時,私は「ふぅん,そんなものかな」と思い,特にこの薬剤について調べようとは思いませんでした。獣医として一番脂が乗っている年代で,とても熱心で,今まで怪我をしたり,おなかの調子が悪かったりした時の対応をみても,本当に信頼できる先生だったからです。丁度その頃,会社の仕事がものすごく忙しくて,連日12時頃にならないと帰宅できなかったせいもあります。
エナカルド錠をのませ始めて2〜3日後から,帰宅すると眠っているぼんちゃんの息遣いが妙に荒く,時々咳をしていたことを,とてつもない後悔の念と共に思い出します。けれども,その時は「心臓が悪くなると息切れが出るからな。心雑音が早くとれるようになるといいな。」などと思っただけでした。ぼんちゃんがもともと気管が弱い方だと以前聞いていたせいもあり,そのまま過ぎてしまいました。そして,1週間目,ドライブの大好きなぼんちゃんはごきげんで帰宅した直後から息切れが激しく,舌は紫色となり,立っていることさえ出来なくなってしまいました。明らかな呼吸困難です。大慌てで,動物病院に連れて行き,対処をお願いしました。ぼんちゃんは気管支拡張剤を注射して,3時間ほど酸素室に入り,少しは元気になって帰宅しました。
その日の夜のことです。ずっと前に友達が「ACE阻害剤をのんだ人は咳がひどくなる」と言っていたのを思い出したのは。エナカルド錠の主成分はマレイン酸エナラプリルというACE阻害剤であることは知っていました。けれども,それらは頭の中で繋がっていなかったのです!

インターネットでエナカルド錠の情報を調べました。農林水産省 動物医薬品検査所のHP(http://www.nval.go.jp)に動物用医薬品データベースがあり,添付文書(医薬品の箱の中に入っている説明書)の情報が得られました。そこには,エナカルド錠には血圧を下げる作用があるので虚脱などが出る可能性があるので注意としかありません。続いて,同じHPの副作用情報ページからエナカルド錠の副作用をみようとしましたが,なぜか繋がりません。
次にヒトの添付文書をみることにしました(http://www.pharmasys.gr.jp/医療用医薬品の添付文書情報)。同じ成分の薬剤はレニベース錠という名前で1986年に厚生省に承認されています。添付文書をみると,承認を受けてから2回改訂されており,頻繁に安全性情報が追加されていることが判りました。これは数年前に,法律が改正されて,市販後の安全性情報を添付文書に細かく反映するようになったからです。
エナカルド錠と同じく,急激な血圧低下が起こることが「重要な基本的注意」の項に書かれています。その他に「重大な副作用」として,「血管浮腫(頻度不明):呼吸困難を伴う顔面,舌,声門,喉頭の腫脹があらわれた場合には,エピネフリン注射,気道確保等適切な処置を行うこと」とあり,さらに「禁忌」(投与してはいけない)の項に「血管浮腫の既往歴のある患者」とあるではありませんか!これらの記述はいずれもこの薬剤によって生じる副作用が生命に関わる重篤なものであることを示しています。
その日は,しばらく,ぼんちゃんにエナカルド錠をのませるのは一応止めておこう,症状が軽くなったら,先生にこのことを話してみよう。そう話し合って,翌日を迎えました。その夜はぼんちゃんはちょっと息は荒かったものの,比較的よく眠れたようでした。

翌日,念の為に連れてきてと言われていたので,ぼんちゃんを動物病院に連れて行きました。行く車の中で,ドライブの大好きなぼんちゃんはまた,興奮して飛び跳ねていたそうです。そして,受診して帰ってきたその日の午後,ぼんちゃんの呼吸困難はひどくなり,先生から薦められた酸素吸入ボンベ(スポーツ用)を使っても,青紫になった舌の色は直らず,再度,動物病院に連れて行くことになりました。
酸素室に入れて,気管支拡張剤を注射して,それでも,夕方に迎えにいった時,ぼんちゃんの状態はちっとも良くなっていませんでした。酸素がふんだんにあっても,ぼんちゃんの肺はそれを血液の中に取り込むことが出来なくなっていました。とても家に連れて帰れる状態ではありません。先生は肺に水が溜まっているので,利尿剤を使って,少しでも呼吸ができるようにするという方針だと説明してくださいました。
家に戻って,レニベース錠(エナカルド錠の人間用)の添付文書を再度読み直しました。すると,「併用注意」のところに「カリウム保持性利尿剤:スピロノラクトン,トリアムテレン」とあり,これらの利尿剤を使うと体内のカリウム濃度が上がることが判りました。カリウム,ナトリウムの濃度は通常,絶妙のシステムで平衡が保たれており,めったなことで濃度は変わりません。平衡が崩れるとかなり深刻な影響を生体に与えてしまうからです。先生!ごく普通のフロセミドとかを使って!どうか,利尿剤が効いて!神様,仏様,誰でもいいから,ぼんちゃんの体力が持つように助けて!けれども,午前1時15分,電話のベルが鳴りました…

「血管浮腫」はアレルギー性の要素が高く,必ずしも発現頻度の高いものではありません。けれども,製薬企業が添付文書に記載するということは,それが薬のせいである可能性がとても高いことを示しています。特に,市販後に追加される副作用情報というのは,厚生省から承認されるまではせいぜい千人程度のヒトに投与しただけ(臨床試験といいます)では判らなかった副作用が,数万〜数十万人に投与して初めて判るというものなのです。(例えば,ノスカールという糖尿病薬は日本とUSで発売していましたが,市販後にとても重篤な肝障害やそれによる死亡が出て,大騒ぎとなり発売中止となりました。)その発現頻度は無視できないからこそ,厚生省は製薬企業に添付文書への記載を指示するのです。
エナカルド錠が危ないというつもりは全くありません。ただ,あなたが大切に思う命を守るために,薬をもらったら,ちゃんと調べて,その上でいつも状態をよく観察してください。そして,何かおかしいと思ったら,動物病院の先生に相談してください。つまらないことで大騒ぎするバカな家族だと思われても構わないと思います。あの子達は自分では先生に言えないのですし,先生よりも一緒に暮らしている家族の方が些細な変化も見逃さずにいられるはずなのですから。動物病院でもらった薬で苦しまないために。

ぼんちゃんの命を守れなかった口惜しさは,言葉では何万言を費やしても言い表せません。HPに今回のことを書くのは,まだ生々しく,本当につらいものでした。けれども,今,この瞬間にも,エナカルド錠を飲んでその副作用に苦しんでいる子達がいると思うと,是非,すぐに書かなくてはと決心しました。また,製薬企業に勤めて安全性評価を行ってきた職業人としても,どんなに必死な気持ちで安全性情報を求めている人がいるかということを決して忘れないで,良質の仕事をして行くことを心に誓いました。私は,ぼんちゃんがこのようにして死んだという重みを一生背負って生きて行きます。ありがとうございました。