No.17 , September 2000

Art

ホイッスラーの美術論 (8)


 1865年10月に、ホイッスラーは、恋人のジョアンナと共にフランス・ノルマンディー海岸のトゥルーヴィルを訪れ、11月まで滞在して海と海岸の風景を描いた。トゥルーヴィルは、遊歩道に沿ってホテルが立つリゾート地であったが、ホイッスラーはそうしたリゾート地らしい風景は描かず、砂浜と海と空だけを描いた。

 5点の海浜の風景画が知られているが、これらの作品の特徴をなしているのは、海や空の微妙な光彩の表現である。作品の一つ、《Crepuscule in Opal: Trouville》(トゥルーヴィル:オパール色の薄明)では、夕暮れ時の海、そして空と雲の刻々と変化していく瞬間の微妙な光彩がとらえられている。この作品で、主をなしているのは光と色彩であり、形は従属的なものとしてとらえられている。

 トゥルーヴィルには、クールベも来ていた。《Harmony in Blue and Silver: Trouville》には、左下に海を眺めるクールベの立像が描かれている。

 クールベは、ホイッスラーを自分の弟子と見なしていた。トゥルーヴィルから家族に宛てた1865年11月17日付けの手紙では、彼は、「私の弟子であるイギリス人も滞在中である」と書いている(1)。正式の師弟関係ではないが、クールベは、ホイッスラーを自分のリアリズムの影響下にいる画家と見なしていたのであろう。

 ホイッスラーは、クールベが1859年に《At the Piano》を賞賛したのをきっかけにファンタン=ラトゥールを介して彼に会い、知り合いになっていた。そして、リアリズムの提唱者として彼を尊敬し、影響も受けていた。しかし、トゥルーヴィルでの作品は、ホイッスラーがリアリズムから離別しつつあることを明確に示していた。ホイッスラーが、まだリアリズムにこだわっているとすれば、それは「光と色彩のリアリズム」とも言うべきものであり、形と色彩と精神を持った対象をとらえようとするクールベのリアリズムとは異なっていた。

 トゥルーヴィルでの作品の特徴をなしているのは、絵具を薄くして、軽く速いタッチで光彩をとらえている技法である。スポルディングは、ホイッスラーが新しく自分のものにしようとしていたこの技法は、迅速で確かなタッチを持つ中国や日本の陶工の描画法であると述べている(2)。また、平面的な表現方法も日本美術の技法を模したものであると述べている。

 ホイッスラーは、リアリズムから離別し、絵画を、色彩と形のハーモニーを実現するオブジェとしてとらえはじめていたのであるともいえるだろう。それは、絵画を装飾的な作品としてとらえようとすることでもあり、そうした絵画の基本的な問題においてもホイッスラーは日本美術から大きな影響を受けていたのであるということができる。

(写真は、Variations in Flesh Clour and Green: The Balcony, 1864-70 の部分。Chaleyssin, Patrick: James McNeill Whistler, The Strident Cry of Butterfly, Parkstone Press, 1995.の表紙カバー)

Note

1) Dorment, Richard and MacDonald, Margaret F.: James McNeill Whistler, Harry N. Abrams, 1995. p.111.
2) Spalding, Frances: Whistler, Phaidon, 1979. p.35.

 


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