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ホイッスラーの美術論 (7)
西洋絵画におけるジャポニスムの発端として画期的であったのは、パリの版画家フェリクス・ブラックモンによる『北斎漫画』の発見であったとされている。1856年のことであった。ブラックモンは、エッチング印刷の専門家であったオーギュスト・ドラートルの仕事場を訪れていたときに、片隅に置かれていた赤い表紙の木版画集を見た。そこにはさまざまな風情、姿勢の人間たちが、感嘆すべき、いきいきとしたタッチで描かれていた。その木版画集は、ドラートルのフランス人友人が、日本から陶器を送ってきたときにパッキングに使ったものであった。ブラックモンは、それを譲ってくれるように頼んだが、ドラートルは断った。
ブラックモンが、それを入手できたのは、それから2年ほどたったあと、木版画家のJ・A・ラヴィエイユのところを訪れたときであった。彼も、ブラックモンが持っていたのと同じ日本の木版画集を持っていた。ブラックモンは、木版画家にとっての聖書ともいわれていたパピヨンの木版画論集との交換を提案して、やっとそれを自分のものにすることができた。
ホイッスラーも、ブラックモンが『北斎漫画』を入手した頃、日本の版画を見たと考えられている。彼は、自分のエッチング作品集「フレンチ・セット」の印刷具合を見るために、1858年11月にドラートルの仕事場を訪れている。ドラートルは、『北斎漫画』を所有していただけでなく、日本の陶器も収集しており、それを仕事場に飾っていた。また、その頃、ホイッスラーは、ファンタン・ラトゥール、マネ、ブラックモンら、パリの先鋭的な画家たちのグループと交友するようになっていた。ブラックモンは、『北斎漫画』を多くの友人に見せていたため、ホイッスラーも彼からそれを見せられたのではないかとみられている。(1)
パリでは、すでに1850年代の半ば以前に日本の美術品を売る「ラ・ポルテ・シノワズ(中華の門)」という店ができていた。1862年にはドソワ夫妻の店が開店し、デセルの「レンピル・シノワズ(中華帝国)」という店でも1850年代から日本の美術品を売っていた。ホイッスラーも、「ラ・ポルテ・シノワズ」の客であったとされているが、パリ時代に彼が版画などをどれくらい所有していたのかははっきりしない。しかし、ロンドンに移ってすぐに取り組んだ「テームズ・セット」のエッチングに広重の影響が認められていることから推すると、すでにパリ時代に、彼は広重の版画などを入手して研究していたと考えられる。
ホイッスラーが日本の美術工芸品を本格的に収集するようになったのは、ロンドンに移ってからであった。ロンドンでは、サウスケンジントン博物館(現在のヴィクトリア=アルバート博物館)が、ロンドンで開かれた日本美術の展覧会に展示された作品を買い取って、1854年に展示を始めた。しかし、まだ日本の美術工芸品を売る店はなかった。彼は、ラトゥールを通じて、ドソワ夫妻の店へ注文を出し、着物や塗り物など日本の工芸品を購入していた。また、彼はロンドン塔の近くにあった茶の専門店をひいきにしていたが、その店では1ポンドの茶を買うごとに日本の版画を景品として渡していた。(2)
そうした日本の美術工芸品の静かな流入を一変させたのは、1862年5月1日からロンドンで開かれた万国博覧会であった。この博覧会では、1857年から1864年まで滞日した初代駐日イギリス公使のラザフォード・オールコックが収集した日本の美術工芸品約1000点が展示され、日本に対する強い関心を呼び起こした。デザインの面から見ると、この博覧会の主要なテーマをなしたのは、日本と中世であったとされている。中世は、もちろんウィリアム・モリスを指導者とするラファエル前派のグループによる工芸品のテーマであった。モリスが、デザイン工房を設立したのは、博覧会開催前年の1861年であった。モリスの中世をテーマにしたデザインや日本の美術工芸品が、この博覧会で二大テーマをなしたことは、イギリスのデザインが手工芸志向に回帰したことを示していたとされている。(3)
ホイッスラーは、博覧会開催中の数カ月間、何度かそこを訪れて日本の美術工芸品を研究した。また、彼は、博覧会終了後の12月1日から4日にかけて開かれたクリスティーズによる展示品の競売会で何点かを購入したと見られている。当時ロンドンには、日本美術を収集する画家・デザイナー・建築家として、ホイッスラーのほかに、のちの1877年に研究のために日本を訪れたクリストファー・ドレッサー、ラファエル前派のグループに近く、ホイッスラーとも交友したウィリアム・バージェス、のちにホイッスラーの親友になった建築家エドワード・ウィリアム・ゴドウィンらがいたが、彼らもこの競売会で日本の美術工芸品を買ったと見られている。(4)
1863年になると、ロンドンにもファーマー・ロジャース・グレート・ショール、クローク・エンポリアムなど日本の美術品や工芸品を売る店が現れた。ファーマー・ロジャースは、博覧会展示品の競売会で売れ残った展示品も売った。1868年に明治維新によって日本の門戸が開放されると、日本からの美術工芸品の輸入は一挙に拡大し、デパートなども日本の美術工芸品を扱うようになり、ロンドンでは日本美術・工芸ブームが起こったのだという。ファーマー・ロジャースの店を運営していたアーサー・レイゼンビー・リバティは、1875年になるとイースト・インディアン・ハウスという東洋の物産の専門店を持ち、デザイン改革運動のキーパーソンの一人になった。(5)
1863年から64年頃にかけてのホイッスラーの主要な油彩作品としては、テームズ河の風景を描いた《Wapping》(1861-1864)と《Grey
and Silver: Old Battersea Reach》(1863)、《Battersea Reach》(c.1863)、女性像を描いた《Symphony
in White, No.2: The Little White Girl》(1864)、《Caprice in Purple and
Gold, No.2: The Golden Screen》(1864)、《Rose and Silver: The Princess
from the Land of Porcelain》(1863-1864)《Purple and Rose: The Lange Leizen
of the Six Marks》(1864)などがある。
テームズ河の風景を描いた作品は、「テームズ・セット」と呼ばれているエッチング作品を発展させたものであるといえる。ホイッスラーは、これらの作品に日本美術から学んだ構図を取り入れたが、基本的なテーマを産業の発展によって変化していく都市の風景にしている点で、これらはフランスのリアリズムに基盤を置いた作品であるといえるだろう。
ホイッスラーが日本美術への傾倒を全面的に表現したのは、もう一つの作品群である女性像においてであった。これらの作品は、女性像であるという点で、テーマの取り方はラファエル前派に習っているとみることができるが、ラファエル前派の作風を基盤に置いて、そこに日本風のものを取り入れたのではなく、ジャポニスムという新しい展開を打ち出している。
《Symphony in White, No.2: The Little White Girl》でのジャポニスムは控えめである。《Symphony
in White, No.1》と同じように、この作品で中心をなしているのは、白いドレスを着た女性像であり、マントルピースの上に置かれた染付けの花瓶と女性が持っている日本の団扇、右下のツツジの花は小道具でしかないと見ることもできるだろう。しかし、白いドレスを背景としてとらえ、三角形の3頂点に配置された女性の頭部とその鏡への映像、染付けの花瓶、団扇とツツジの花が、この絵の主要なテーマを構成していると見ることもできるだろう。
《The Golden Screen》と《The Princess from the Land of Porcelain》では、ホイッスラーはモデルの女性に日本の着物を着せ、屏風、団扇、浮世絵などを小道具に使って、日本への傾倒を全面的に表現した。また、《The
Lange Leizen of the Six Marks》では、モデルの女性に中国の服を着せ、染付けの壷や花瓶、皿などを小道具にして、陶器への傾倒を表現している。
ホイッスラーは、これらの油彩作品で、題材を日本や中国にとっただけでなく、「テームズ・セット」と同じように日本美術の手法を導入した。《The
Golden Screen》では、前景の強調、背景を鮮明にしたフラットな構成、鮮明な色彩の採用といった日本美術の手法が取り入れられている。(6)
(写真は、Pennell, E. R. and J. : The Life of James McNeill Whistler, vol.I
& II, William Heinemann, 1908.の図版、《Symphony in White, No.2: The
Little White Girl》(1864)
引用文献
1) Bendix, Deanna Marohn: Diabolical Designs, Paintings, Interiors, and
Exihibitions of James McNeill Whistler, Smithsonian Institution Press,
1995. p. 51-52.
2) Ibid., p.54-55.
3) Ibid., p.56-57.
4) Ibid., p.58.
5) Ibid., p.55.
6) Spencer, Robins : Whistler, Portland House, 1990. p.58.
その他の参考文献
1) 大島清次:ジャポニスム、印象派と浮世絵の周辺、講談社、一九九二年。
2) Laver, James : Whistler, Faber and Faber, 1951.
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