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ホイッスラーの美術論 (6)
ホイッスラーが、ラファエル前派の中心的存在であったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティに会ったことが明確にされている最初の日は、1862年7月28日である。
ホイッスラーは、その2年前の1860年5月のロイヤル・アカデミー展で《At the
Piano》とエッチング5点の入選を果たし、『Times』での評や小説家サッカレーの賞賛も得て、新進画家と知られるようになっていた。そして、ロイヤル・アカデミー展が始まったすぐあとに入会したエッチング画家たちの集まりであるジュニア・エッチング・クラブでは、彼は、ラファエル前派のグループと親しかった挿絵画家、チャールズ・キーンと知り合いになっていた。また、その頃、ナショナル・ギャラリーを訪れていたときに知り合ったのをきっかけにして、ラファエル前派の画家、ジョージ・プライス・ボイスとも友人になっていた。
ホイッスラーが、ロセッティと会ったのは、ボイスの紹介によってであるとみられている。その日、ホイッスラーも住むニューマン通りに引っ越してきたラファエル前派のグループの詩人、アルジャノン・スウィンバーンの家に、ラファエル前派の仲間たちが集まった。ホイッスラーも、招待されてそこを訪れた。
ホイッスラーとロセッティの交友は、しだいに親密になっていった。ロセッティが1862年10月にチェルシー地区に転居して数カ月後、ホイッスラーもチェルシー地区のクィーンズ通りへ引越し、さらに1863年3月には、同じチェルシー地区のリンゼイ通りに住居を移した。ホイッスラーの新しい住居は、ロセッティの家のすぐに近くにあり、ホイッスラーは夜をロセッティの家で過ごすことが多くなった。
しかし、ホイッスラーは、芸術的な流派としてのラファエル前派からは距離を置いた。そして、しだいにそれに対立して自分を位置付けるようになっていった。
チェルシーに転居した直後、ホイッスラーはスィンバーンとともにパリを訪れたが、その主目的は、パリの芸術活動の様子を知ることであった。彼は、パリ・サロンへの出展を目的として《The
White Girl》(1862、のちの《Symphony in White No.1: The White Girl》)を送っていた。彼は、パリでの自分の作品に対する評価を気にかけ、ファンタン=ラトゥールらに会って話を聞いた。また、3月1日に始まったマルチネ画廊でのマネの個展を見ることも、この旅行の目的の一つであった。彼は、画家としての活動の本拠地をロンドンに移しながらも、パリのリアリズムからは離れられないでいたのである。
ホイッスラーに、芸術的な流派としてのラファエル前派から距離を置かせていたもう一つの要因は、彼の日本美術への傾倒であった。
《At the Piano》(1858)のあと描かれ始めた彼のこの頃の油彩作品としては、《The
White Girl》のほか、1859年に描き始めた《Brown and Silver: Old Battersea
Bridge》(1859-1863) 、1860年の夏に描き始めた《Wapping》(1860-1864)、12月に描き始めた《The
Tames in Ice》(1860)、《Harmony in Green and Rose: The Music Room》(1860)、《The
Coast of Brittany》(1862)、《The Last of Old Westminster》(1862)などがある。
これらの作品は、西洋絵画の伝統とフランスのリアリズムに基盤を置いた作品であったが、同時に日本美術の構図も取り入れられている。
《Old Battersea Bridge》の構図が、歌川広重の東海道五十三次の三十九、岡崎を手本にしたものであるとされていることは、前回に述べた。《Wapping》は、リアリズムに基盤を置いた作品であるが、前景のバルコニーに人物を配し、遠景にテームズ河を描いているという点で、《Variations
in Flesh Colour and Green: The Balcony》(1864-1870)と同じ構図をとっているといえるだろう。その《The
Balcony》は、鳥居清長の《美南見十二候・六月 品川の夏》の構図を直接的に模していることが知られている。《品川の夏》は、海に向かって戸を開け放たれた座敷の外の廊下でくつろぐ、品川の遊里の女たちを描いた作品である。
このように見れば、《Wapping》の構図を決めるに際しても、ホイッスラーは浮世絵を手本にした可能性があるといえるだろう。また、海の風景を描いた《The
Coast of Brittany》についても、日本美術の影響を指摘する批評がある。
参考文献
1) Anderson, Ronald and Anne Koval : James McNeill Whistler, John Murray,
1994.
2) Bendix, Deanna Marohn, Diabolical Designs, Paintings, Interiors, and
Exhibitions of James McNeill Whistler, Smithsonian Institution Press, 1995.
3) Spalding, Frances: Whistler, Phaidon, 1979.
(写真は、Dorment, Richard and MacDonald, Margaret F.: James McNeill Whistler,
Harry N. Abrams, 1995.の表紙に使われている《Symphony in White, No.2: The
Little White Girl》(1864))
訂正
前回、当初数日間、「鈴木春信の浮世絵を手本にした作品」と書いていましたが、「鳥居清長の浮世絵を手本にした作品」の間違いでした。
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