No.49, January 2004

Art


ホイッスラーの美術論 (38)

 ヴェニスから帰国したあと、ホイッスラーは再び肖像画を描き始めた。それは依頼がきたということであり、ラスキンとの訴訟問題とそれに続く破産という混乱状態がヴェニスへの旅行を経ることによって収まり、ロンドンの注目される画家として彼が復活したということでもあったのだろう。

 この時期の肖像画の依頼者の一人は、ビール会社を営む家の後継者、ヘンリー・ミューであった。彼は、結婚を記念にホイッスラーに夫人の肖像画を依頼した。英国では、社交界に出入りするような富裕な階層は、結婚すると新婦の肖像画を依頼するのが慣わしになっており、この依頼もそうしたものであったという。(1)

 ホイッスラーが描いたミュー夫人の肖像画として、よく知られているのはハワイのホノルル美術館に所蔵されている肖像画《黒のアレンジメント No.5》(1881年)である。この作品は、2000年に日本で開催された「ホノルル美術館展」で展示された。また、このほかに、ニューヨークのフリック・コレクション所蔵の《ピンクと灰色のハーモニー:ミュー夫人の肖像》(1881年)がある(写真)。このほかにもう1点描かれたが、その作品はホイッスラー自身によって破棄された(2)。

 ミュー夫人は、娼婦が出入りするようなダンスホールでミュー氏と出合ったといわれており、結婚前に別の男性と同棲していたことがあったと書かれたこともあった。そのために、ヘンリー・ミューの母親を憤慨させ、社交界からは疎外されていたという。そのような彼女の立場が、レイランドやラスキンと紛争を起こしたホイッスラーという「評判の悪い」画家を選ばせたのではないか、という見方がされている。(3)

 フランスの美術評論家、テオドール・デュレ、アメリカ人画家メアリ・カサットの兄弟の夫人であるロウイス・カサット、友人のアーチボルド・キャンベル夫人の肖像画を描いたのもこの時期である。

 テオドール・デュレは、1838年にコニャック産地の伯爵家に生まれ、同地方のブドウ酒業界の会長を務めたあと、1863年にパリに出て、母方の縁者であるクールベに会い、さらに1865年にマネと知り合いになって印象派画家たちの支持者、作品収集者になった。彼は、1871年から翌年にかけて日本を訪れ、帰国してからも日本美術を収集したジャポニザンでもあり、1882年以降、日本美術に関する論考をいくつか発表している。ホイッスラーとは、1880年にマネの紹介で知り合った。デュレは、ホイッスラーが死去した翌年の1904年には、『ホイッスラーの生涯とその作品』という本を著した。デュレの肖像画は、マネも描いている。(4)

 カサット夫人の肖像画は、1883年に、彼女が夫のアレキサンダー・J・カサットとともにヨーロッパを旅行した帰路、ロンドンに滞在したときに描かれた。アレキサンダー・J・カサットは、ドガに師事していたメアリ・カサットの兄弟であった。メアリは、ロウイス・カサットの肖像画を依頼する画家としてルノワールを紹介したが、夫妻は作品を見て好みが違うと感じ、ロンドンのホイッスラーを選んだのだという。(5)

 アーチボルド・キャンベル夫人の肖像画は、3作品が描かれたが、はじめの2作品はホイッスラー自身によって破棄された。最後に描かれた作品は、肩越しに後ろを振り返って、挑発的な視線を向けている特異なポーズの肖像画である。ホイッスラーは、アーチボルド・キャンベル夫妻とは、1877年のグロブナー画廊での展覧会のときに知り合いになり、親しい友人になった。夫妻は貴族階級であったが、夫人はアマチュアの女優でもあった。そのことが、このようなポーズの肖像画を描くことを可能にさせたのだろうが、おそらくこのようなポーズが理由となって、キャンベル家はこの肖像画を買い取らなかった。(6)

 ホイッスラーは、この頃から、油彩、エッチング、パステルに加えて、水彩画も描き始めた。彼は、あらゆる表現方法を追求しようとしていたのだろう。水彩画は、同棲していたモード・フランクリンをモデルにしてカードに描いた作品や海岸の風景を描いた作品がある。水彩画を初めて発表したのは、1884年にダウデスウェル画廊で開かれた個展においてであった。このときは、油彩38作品、水彩26作品、パステル3作品が展示された。これに続いて、1886年にも同じダウデスウェル画廊で個展が開催されたが、このときには、展示された75作品のうち、水彩画は48作品に上った。(7)

(写真は、MacDonald, Margaret F. et al., Whistler, Women, & Fashion, The Frick Collection with Yale University Press, 2003.、フリック・コレクション所蔵《ピンクと灰色のハーモニー:ミュー夫人の肖像》(1881年)の部分が使われている)

Notes

1) Dorment, Richard and MacDonald, Margaret F.: James McNeill Whistler, Harry N. Abrams, 1995.p.201-203.
2) ibid.
3) ibid.
4) 大島清次:ジャポニスム、印象派と浮世絵の周辺、講談社、1992年。p.214-234.
5) Dorment, Richard and MacDonald, Margaret F., op.cit., p.207-208.
6) ibid., p.210-212.
7) ibid., p.213-214, 221-226.

ホイッスラーの作品を集めたサイト:ARTCYCLOPEDIA
http://www.artcyclopedia.com/artists/whistler_james_mcneill.html
 


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