ホイッスラーの美術論 (36)
ヴェニスへ(5)
1879年9月にロンドンを出発したとき、ホイッスラーのヴェニス滞在予定期間は3カ月間であった。しかし、結局のところ、1年数カ月におよんだ。ファイン・アート・ソサイアティのヒューイッシに頼んで帰国のための旅費を送ってもらったあと、彼は1880年11月にロンドンへ戻った。(1)
ロンドンへ戻ると、彼は兄ウィリアムの家に泊まり、ファイン・アート・ソサイアティと契約している12点の作品の選択と仕上げに取り組んだ。それらの作品は、展覧会で発表され、さらに刊行されることになっていた。(2)
彼が選んだ12点には、次のような作品が含まれている。
潟の彼方に見えるヴェニスの遠景を描いた《リトル・ヴェニス》(リトルは作品のサイズを意味している)(3)、潟に停泊する船とその向こうに見えるヴェニスのシルエットを描いた《ノクターン》(4)、波止場の風景を描いた《リトル・マスト》(5)、潟に停泊する船とゴンドラの行き交う風景を描いた《リトル・ラグーン》(6)、サンマルコ広場とそこに集う人々の姿を描いた《小広場(The
Piazzetta)》(7)、運河沿いに立つヴェニスの特徴的な住宅とその玄関からゴンドラに乗ろうとする人の姿を描いた《住宅群(The
Palaces)》(8)、ルネッサンス期に建てられたパラッツォ・グッソーニと呼ばれる小邸宅の玄関を描いた《玄関(The
Doorway)》(9)(その邸宅は、大工の仕事場として使われており、玄関は、凝った造りの鉄格子で飾られている。ホイッスラーは、明るい外光のもとに見えるその鉄格子を精細に描き、奥に見える仕事場の雑然とした様子、天井に吊った椅子などと対比させた。玄関脇には、運河の水面に映る自分の影を見ているかのような姿勢の娘も描かれている
(10))、ゴンドラ(トラゲット)が行き交う運河が向側に見えるアーチ形の暗い通路と、そのそばの街角に置かれたテーブルの周りで談笑する男たちを描いた《トラゲット、その2》(11)、暗い通路にたたずむ物乞いの母子を描いた《物乞い》(12)。
これらの作品のうち、《リトル・ヴェニス》は、スケッチをもとにロンドンへ帰ってから制作された。また、他の作品もヴェニス滞在中に何回かの試し刷りを終えていたが、ロンドンへ帰ってから修正が加えられた。(13)
マクドナルドは、ファイン・アート・ソサイアティのために選ばれた12点の作品は、よく知られた風景を描いた作品と、《ノクターン》のような実験的な作品とで構成されており、「洞察力を持った鑑賞家とアームチェア・トラベラーの両者に対して訴えるところがある」と述べている。(14)
ヴェニスというテーマは、人々のヴェニスの風景への憧れや讃美に注目して選ばれたのであろうから、12点の構成を、そうしたねらいから大きくかけ離れたものにすることはできなかった。ホイッスラーは、ヴェニス滞在中から、そのような制約のもとで創造性をどのように発揮するかということを考えながら作品を描き、12点の作品もそのような課題を念頭に置いて選択したのだろう。
展覧会は、12月1日から開催され、多くの新聞や雑誌の評者に注目された。マクドナルドは、批評の一つの焦点となったのはトーンであったと述べている。(15)
当時、多くのエッチング画家が、描線だけを使うのではなく、印刷時のインクの乗せ方などを工夫してトーンの効果を得る方法をとっていたが、保守的な立場からは批判されていた。そうした方法は、印刷職人の技量に依存するところが大きく、また、版画であるのに一枚ごと異なった作品になる可能性があるからである。特に『ノクターン』は、そうした方法を使っていたが、それに対して批判と賞賛とがあった。(16)
ヴェニスの風景を、どのように捉えるべきかという観点からの評もあった。マクドナルドは、そのような議論において軸となったのは、「理想」と「ピクチャレスク」という価値観の対立であったと述べている(17)。「理想」は、対象を作品において完全化、理想化するという考え方であり、ルネッサンス以後のヨーロッパの美術ではギリシャ彫刻などの古典的な彫刻が「理想美」の模範とされた(18)。
ヴェニスの風景を捉える場合において、「理想」の立場に立つということは、頽廃あるいは老朽化という現実を捉えるのでなく、威厳のある風景として捉えるべきであるという考え方をとることであった。
一方、「ピクチャレスク(絵のような)」は、18世紀のイギリスにおいて、ウィリアム・ギルピン神父によって、旅行の動機として提唱された概念である。1782年に刊行された著作の中で、彼は、旅行者の「追求すべき新しい目的」として、「ピクチャレスク・ビューティ(絵画のような美)という規範によって国の顔」を見てみることを提唱した。(19)
旅行の目的として提唱された概念であったが、「ピクチャレスク」は、美しい「絵になる風景」を描くという目的を画家たちに対しても与えたのである。
コルバンは、「ピクチャレスクな風景は額縁内に描かれ、封じ込められるべきもの」であるといっている
(20) 。画家は、ピクチャレスクな風景、すなわち絵になる風景を探し出し、それを額縁によって切り取って作品の中に封じ込めるのである。
そうして切り取られた風景のあるものは、だれもが知る定型的な風景になり、また切り取られた風景は現実の風景に対して作用する力も持つようになる。そのような意味で、「ピクチャレスク」は近代人の旅行の主要な動機を明確にしただけでなく、絵画のテーマのとり方や景観のデザインに対しても大きな影響を及ぼした概念であったということができるだろう。
ホイッスラーにとって、ヴェニスのピクチャレスクな風景とは、威厳を感じさせる建築物に焦点を当てた風景ではなく、多くの人が注目することなく、何気なく通りすぎてしまうような街角の風景であり、また頽廃の影が漂う風景でもあった。それは、また、リアリズムでもあったといえる。そのような意味で、12点で構成された「ヴェニス・セット」は、1871年に刊行された「テームズ・セット」と同じような美術思想によっていたといえる。
12点のセットは、ファースト・セットとも呼ばれており、1880年にファイン・アート・ソサイアティから『ヴェニス、12点のエッチングのシリーズ』として刊行された。25部が刊行されることになっていたが、そのためには約300葉の印刷が必要であり、多大な労力が必要とされた。無報酬で助手として印刷を手伝う人がいたが、その中に、のちにホイッスラーに師事したモーティマー・メンペスとウォルター・シッカートもいた。(21)
(写真は、Links, J.G.: Canaletto, Phaidon, 1994)
Notes
1) MacDonald, Margaret F.: Palaces in the Night, Whistler in Venice, University
of California Press, 2001. p.34.
2) ibid., p.88.
3) ibid., p.90.
4) ibid.
5) ibid.
6) ibid., p.89.
7) ibid., p.87.
8) ibid., p.69.
9) ibid., p.76.
10)ibid., p.77.
11)ibid., p.85.
12)ibid., p.22.
13)ibid., p.91.
14)ibid., p.88.
15)ibid., p.94.
16)ibid., p.94.
17)ibid., p.95.
18) Chilvers, I. And Osborne, Harold: The Oxford Dictionary of Art, Oxford
University Press, 1997. p.278.
19) Buzard, James: The Grand Tour and after (1660-1840), in The Cambridge
Companion to Travel Writing (ed. by Peter Hulme and Tim Youngs), Cambridge
University Press, 2002. p.45.
20) コルバン、アラン:風景と人間、小倉孝誠訳、藤原書店、2002年。p.84.
21) MacDonald, Margaret F., op.cit., p.88, 96-97.
ホイッスラーの作品を集めたサイト:ARTCYCLOPEDIA
http://www.artcyclopedia.com/artists/whistler_james_mcneill.html
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