ホイッスラーの美術論 (33)
ヴェニスへ(2)
ホイッスラーがヴェニスへ出発した年、1879年には、イギリスやアメリカ、フランスなどの国では、世界中の名所旧跡の写真が社会に広く行き渡る時代になっていた。
写真技術の発達は目覚しく、すでに1850年代には、中近東の遺跡などの写真を集めたアルバムが出版されるようになっていた。焼付け時間を大幅に短縮することに成功したフランスのブランクアール・エヴラールは、1851年にパリのノートルダム寺院の精細な写真などを収めたアルバムを刊行して、多数の部数を売った。さらに彼は、52年には、文筆家マキシム・デュカが作家のフロベールと共に1849年から52年にかけて中近東を旅行した際に撮影した写真122点を集めたアルバム、『エジプト、ヌビア、パレスチナ、シリア』を刊行した。このアルバムには、アブ・シンベル神殿のラメセス二世の壁面巨大像を世界で最初に撮影した写真などが収められている。(1)
これらの写真集は、考古学、美術史などの資料としても貴重であったが、世界各地の珍しい遺跡や風俗、自然を見たい、また自分が訪れた場所の記録を持っておきたいという新たに芽生えた人々の要求を満たすものでもあった。
また、写真は、画家たちにとっても貴重な資料であった。1870年にロンドンに住むようになったオランダ人画家、ローレンス・アルマ=タデマは、ローマ時代の生活や建築物に関連する写真を多数集めていたことが知られている(2)。彼は、そうした写真を資料として古代ギリシャ、ローマ、エジプトなどに状況を設定した作品を多く描いた。
写真に対する要求の高まりを背景に、イギリスでは、1860年に撮影チーム、焼き付け作業員など多数のスタッフを擁した会社が設立され、続いてスコットランドでも同様の会社が設立された。スコットランドの会社は1日に3000枚もの写真を焼き付ける能力を有していたという。(3)
また、1850年代に、フランスの会社から立体写真を見ることのできるステレオスコープと呼ばれる装置が発売され、二枚組みの立体写真も普及した。1854年に設立されたロンドンの会社は、1862年に年間100万枚もの立体写真を売ったという(4)。わが国の明治中期の風景や風俗を記録した立体写真としては、アンダーウッド社発行のものが知られている(5)。
人々が世界各地を旅行するようになったのに伴ない、写真と共に、旅行者のための土産物としての版画も多数売られるようになっていた。
1879年にヴェニスを訪れたホイッスラーに課せられていたのは、そうした名所の画像があふれた時代の中で、名所を描くことであった。
(写真は、Barrow, R.J.; Lawrence Alma-Tadema, Phaidon, 2001.)
Notes
1) Newhall, Beaumont: The History of Photography, The Museum of Modern
Art, New York, Distributed by Bulfinch Press, Little, Brown and Company,
1982.p.50.
2) Wood, Christopher: Tissot, Artus Books, 1995. (First published in 1986
by George Weidenfeld and Nicolson Ltd), p.147.
3) Newhall, op.cit.,p.105.
4) Ibid., p.114-115.
5) CD-ROM版写真図録、本朝写真事始、丸善。
ホイッスラーの作品を集めたサイト:ARTCYCLOPEDIA
http://www.artcyclopedia.com/artists/whistler_james_mcneill.html
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