ホイッスラーの美術論 (30)
ホイッスラー対ラスキン(11)
被告側尋問の冒頭陳述が始まると、ホルカーは、「陪審員が決めなければならないことは、これらの作品が価値のあるものか、あるいはそうでないものかということではなく、ラスキン氏が公正、正直、また穏健な精神で批評したかどうかということである」(1)と述べたが、作品の価値についての論議を繰り返した。作品に価値がないから、それを指摘したラスキンの批評は正当性であったと主張するのが彼の戦略であったのだろう。
夕刻になって裁判の継続が困難になり、陳述はいったん中断されたが、翌日、再開されると、彼は、グロブナー画廊に展示されたホイッスラーの作品はスケッチとみなされるべきものであると述べ、それらを賞賛している風潮を、グロブナー画廊を舞台にした架空の話を挙げて批判した。
「彼の作品を近くで見ることには、もちろんちょっとした困難が伴なうだろう。グロブナー画廊を頻繁に訪れる美術心酔者たちの間には、彼の作品に対する賞賛が強くあるからである。そこを訪れると、われわれは、《ノクターン》、《アレンジメント》、《シンフォニー》などが美術愛好家の婦人たちによって取り囲まれているのに出くわすだろう」(2)
「中世風の帽子を被った美しい婦人たち」が、ホイッスラーの作品を前に賞賛の言葉や評を交わす架空の情景を、ホルカーは皮肉を込めて述べ、ラスキンが「道徳的」な美術批評の立場をとるのに対して、ホイッスラーの賞賛者の主体をなすのは流行を追う婦人たちであると示唆した。(3)
その婦人たちが去ったあと、自分の目で確かめると、ホイッスラーの作品はスケッチでしかないことがわかると彼は述べた。(4)
《黒と金色のノクターン:落下する花火》について、ホルカーは、「ホイッスラー氏は、事物を他の人のようには見ない。彼は、我々が見ることができない事物を見て、我々が聞くことのできない芸術的な音を聞く」と皮肉を込めて語り、「彼にとって火花を散らしながら落下している花火は花火ではなく、英国の公衆を魅惑する奇妙で幻想的な形なのである」と述べた。そして、グロブナー画廊に展示されたホイッスラーの作品を見る人は、いくらかの美の要素やある程度の価値は認めるだろうが、偉大な美術作品の名には値しないと思うだろう、と述べた。(5)
「今日、美術と呼ばれるものに対してのある種の熱狂がある。ある人たちの間では、理解できないものを賞賛し、それについて何かを話すことが流行になっている」。ホルカーは、このように言い、さらに《黒と金色のノクターン:落下する花火》について、人々はそれが何を描いたのかはわからないまま、神秘的な美があることを認め、喜び、賞賛している、と述べた。このような熱狂は助長されるべきではないというのがラスキン氏の考えであるならば、彼はそれを公衆に対して恐れることなく表明する権利を持つ、とホルカーは主張した。(6)
「マンチェスター、リーズ、シェフィールドの美術愛好家の紳士たちが、これらの絵の一つを買ってみたいと思うかもしれないのは、それがホイッスラーだからだろう。ラスキン氏が言いたいのは、これらの紳士たちは、マンチェスター、リーズ、あるいはシェフィールドにこもって、お金はポケットにしまい込んでいた方がよい、ということだ」(7)
ホルカーは、ラスキンの立場をこのようにかみくだいて述べたが、ホイッスラーのモダンな作品を買っているのは新興工業地帯の富裕者であるということも示唆しようとしたのだろう。
ホルカーは、長々と話したが、要点は「批評の自由」が認められていること、ホイッスラーの作品をラスキンが認めないことは、それらの作品の特徴から理解できること、ラスキンが批評で使用した過激な言葉は中傷にはあたらない、といったことであった。
ホルカーの冒頭陳述が終わったあと、ラスキン側のもう一人の弁護士、ボーエンによって、画家エドワード・バーン=ジョーンズに対する直接尋問が行われた。
バーン=ジョーンズは、「完全な仕上げは、すべての画家が目標とすべきであり、完全な作品の本質となるもの」であると述べ、《青と銀色のノクターン》についての評価を聞かれると、「美術作品ではあるが、きわめて未完成である。賞賛すべき描き始め、簡単に言えばスケッチである」と述べた。(8)
そのように判断する根拠について、バーン=ジョーンズは、「この作品は多くの優れた特質を有している。ある面、特に色彩では、熟達している。それは、美しいスケッチである。しかし、それだけによって優れた美術作品をなすには十分ではない。それは形象を欠いており、形象は色彩と同様に本質的なものである」と述べた。(9)
また、構図については、「構図といえるものは全くないと思う」と答えた。(10)
ホイッスラーは、日本の美術作品から多くの構図を取り入れていたが、バーン=ジョーンズは、そうしたものは構図であるとは認めなかったのである。
バーン=ジョーンズは、《ノクターン:青と金色、オールド・バッタシー・ブリッジ》についても同じ評を述べ、さらに《黒と金色のノクターン:落下する花火》については、「それを、まじめな美術作品ということはできない」と述べ、その理由として、「夜を描くことが自体が難しい」と話した。(11)
「夜を描こうとした画家たちの千もの失敗の一つに過ぎない。他のノクターン2点は、夜のように見え、夜のような色調を呈している。特に橋を描いた作品はそうである。しかし、(《黒と金色のノクターン:落下する花火》)は、夜のようには見えないと思う」(12)
バーン=ジョーンズのこのような言葉からは、ホイッスラーと彼の美術思想の間に大きな断絶があったことがわかる。
バーン=ジョーンズは、仕上げの重要性について主張するための証拠として、ラスキン側が法廷に持ち込んだヴェニス総督アンドレア・グリッティの肖像画について、「昔の美術の高度な仕上げを示す最も完璧な作品例である」(13)と述べたあと、ホイッスラーの作品は危険であるともいった。
「原告の作品における仕上げの欠如が美術に対して持つ危険性は、彼に続く者たちが、彼の持つような色彩における卓越性、彼が見せているような雰囲気を表現するうえでの誰もが伍し得ない力量も持たないまま、機械的に描くようになることである。そうなれば、国の美術は単なる塗装に堕してしまうだろう」(14)
バーン=ジョーンズに続いて証言した画家のウィリアム・パウエル・フリスも、ホイッスラーの作品について、「美術作品ではないというべきだろう」「オールド・バッタシー・ブリッジの絵には美しい色調が見られるが、その色彩はちょっとした壁紙や絹布から得られるもの以上のものではない」「画家として非常に大きな力量を持っているが、これらの作品にはそれは見られない」といった見方を示した。(15)
原告側弁護士のパリーは、フリスに対して、ラスキンの尊敬するターナーの作品《吹雪》(Snow
Storm)が、かつて「石鹸の泡と壁面塗料の塊」と評されたことを知っているか、また同じような見方をするのかと聞いた。(16)
フリスは、自分もそのように見るのではないかと述べ、さらに「私が、ターナーをすべての画家の偶像であるというとき、それは、彼が半ば狂気に陥り、正気ではない作品を描いていた時期を指しているのではない。ターナーのそのような作品を賞賛する人たちも正気ではない」と述べた。(17)
ターナーは晩年には、印象派の先駆ともいえるような形象的な写実から離れた作品を描いた。現在では、それらの作品は高く評価されているが、当時、それらの作品に対しては強い反発があったのだろう。フリスは、そのような保守的立場に立っていた。
最後に証言した美術評論家のトム・テイラーは、初めに自分が『ザ・タイムズ』紙に書いた批評を読み上げた。ノクターンという作品名を軽く批判し、また色彩を誉めてみせるといった内容の批評であった。尋問では、彼もホイッスラーの作品は「スケッチである」という見方を示した。(18)
最終弁論で、被告側の弁護士ボウエンは、私的な問題に立ち入らない限りにおいて批評の自由は保証されるべきであると強調し、「大臣や政治家は、“大ぼら吹き”と言われるが、それで名誉毀損の訴訟を起こすことはない」という例をあげた。(19)
一方、原告側の弁護士パリーは、ホルカーが、冒頭陳述でホイッスラーの作品を婦人たちが賞賛しているという想像上の話を述べたのは、女性蔑視の態度であるとして批判した。(20)
そして、ラスキンの批評における態度について、「自分が言ったことは一言であっても撤回しようとしないといわれている。彼は、王座に座して、好きなように人を脅かし、人を傷つけることであれ何であれ好きなことを言うことを欲しているようにみえる」と述べ、そうしたことは許されないことであり、批評において使われる言葉には限度があると主張した。(21)
パリーは、さらに、『フォルス・クラビゲラ』でのラスキンの批評の例をいくつか挙げ、彼の批評が、人格を攻撃する傾向を持っていることを指摘した。(22)
最終弁論が終わると、ラスキンが批評において用いた言葉が批評の自由の範囲内で許されるものであったかどうか、という焦点が鮮明になった。法廷は、判決を前に昼食のための休憩に入った。
(写真は、Ruskin, John: Modern Painters, edited and abridged by David Barrie,
Alfred A. Knopf, 1987. 表紙カバーには、クロード=ロランの《シバの女王が船出する港》(ロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵)が使われている)
Notes
1) Merrill, Linda: A Pot of Paint, Aesthetics on Trial in Whistler v. Ruskin,
Smithsonian Institution Press in conjunction with Freer Gallery of Art,
1992, p.162.
2) Ibid.,p.165-166.
3) ibid., p.166.
4) ibid.
5) ibid., p.168.
6) ibid.
7) ibid., p.170.
8) ibid., p.172.
9) ibid.
10) ibid., p.173.
11) ibid.
12) ibid.
13) ibid., p.174.
14) ibid., p.175.
15) ibid., p.176-177.
16) ibid., p.178.
17) ibid.
18) ibid., p.179-180.
19) ibid., p.182.
20) ibid., p.183.
21) ibid.
22) ibid., p.185.
ホイッスラーの作品を集めたサイト:ARTCYCLOPEDIA
http://www.artcyclopedia.com/artists/whistler_james_mcneill.html
Copyright (C)2003 Hideo Nogami