ホイッスラーの美術論 (29)
ホイッスラー対ラスキン(10)
昼の休憩が終わった後、法廷では、この裁判のきっかけをつくることになった作品である《黒と金色のノクターン》(のちに、作品名に「落ちる花火」が加えられた)が供覧された。裁判が始まった後、被告ラスキン側の弁護士であるホルカーは、この作品の供覧を求めたが、原告ホイッスラー側の弁護士は、その時には拒んでいた。昼の休憩時間にウェストミンスター・パレス・ホテルでの供覧が実現したために、態度が変えられたのだろう。
その絵を見て、ホルカーは、「これが、クレマーンだというのですか」と聞き、午前中と同じように、製作にかけた時間、値段の妥当性、絵画作品としての価値などについて質問を繰り返した。ホイッスラーも同じような答えを繰り返した。そのあと、原告側の証人に対して質問が行われた。(1)
はじめに証人として立ったのは美術評論家のウィリアム・マイケル・ロセッティであった。原告側弁護士、パリーが、「グロヴナー画廊に展示されたホイッスラー氏の作品について、どう思いますか」と質問すると、彼は、「作品全体についていうと、それらは賞賛すべきものであると心から思っています」と答えた。さらに、「それらは、自分の職業においてより良い仕事をしようと望んでいる良心的な画家の作品であると思いますか」と聞かれると、「まちがいなくそう思っています。ホイッスラー氏は、誠実で優れた画家であると私は考えています」と答えた。(2)
被告側弁護士のホルカーは、「この作品には多大な労力が費やされたと思いますか」と聞いた。ロセッティは、「いいえ、そうとは思いませんが、絵画作品において労力や仕上げを示すことは、必ずしも必要とされていることではないと考えています」と答えた。その作品が200ギニーという値段に相当する価値があると考えるかというホルカーの質問に対しては返答を避けようとしたが、裁判長に促されて、「ある」と答えた。(3)
続いて、画家アルバート・ジョゼフ・ムーアが証言した。原告側弁護士、ぺセラムが法廷に提出されているホイッスラーの作品に対する意見を求めると、ムーアは次のように述べた。
「これらの作品は、ホイッスラー氏のすべての作品と同じように、大きなねらいを持っていますが、あまり理解されていません。外国の人々は、われわれは仕上げにこだわりすぎていると批判しています。ねらいとしている絵の性質に関して、ホイッスラー氏は成功していると私は考えています。現存の画家で、同じようなねらいにおいて成功している画家はほかにいないと私は信じています。ホイッスラー氏のこれらの作品は、美しい美術作品であると考えています。私も同じように描けたらと思います。これらの作品には、ひとつ特別なことがあります。それは彼が雰囲気(air)を描いていることです。それを試みた画家はほとんどいません。私は、先に見せられた橋の絵(《青と銀色のノクターン》)の雰囲気の感覚はすばらしいと思います。《黒と金色のノクターン》に関して言えば、雰囲気の効果はまさに驚異的であると考えています。描かれたクレマーンの光景は特別であり、私にはすばらしいものだと思えます」(4)
ぺセラムが、《黒と金色のノクターン》の200ギニーという値段の妥当性についても聞くと、ムーアは次のように答えた。
「現在の世間での絵画の値段をみると、ここに提出されているホイッスラー氏の作品の一つに対して付けられている200ギニーという値段は高すぎるとは考えられません。研鑚を積んだ弁護士が、それだけの額を得るのに、何日も何日も働く必要がないのと同じことです。お金は、その画家の持つ技巧に対して支払われるのであり、注ぎ込まれた労力に対して支払われるとはかぎりません。もし富裕であれば、私自身、ホイッスラー氏の作品を買うかもしれません」(5)
被告側のホルカーも、ムーアに対して質問した。「ホイッスラー氏は、特別な流派の一員あるいは継承者であると思いますか」というホルカーの質問に対して、ムーアは、「彼が美術活動において追求していることは、英国では、あまり広く行われていません。私は、ホイッスラー氏と同じ流儀では描いていません。彼のスタイルの父は、ヴェラスケスです」と答えた。また、「これらの作品には、何らかのエクセントリシティがありますか」というホルカーの質問に対しては、ムーアは、「それはオリジナリティーと呼ぶべきものでしょう。絵画において、あなたは何をエクセントリシティと呼ぶのですか」と答えた。(6)
原告側の3人目の証人、劇作家・画家のウィリアム・ゴーマン・ウィリスは、原告側弁護士ぺセラムの質問に対して次のように話した。
「私は、月光の2点(《青と銀色のノクターン》)を1877年のグロヴナー画廊での展示でも見ましたが、その前にも見たことがあります。それらの作品は、熟慮と知識を示していると思います。かなり魅力的な作品であるとも思います。私にとっては、それらは、美術の大変な知識を証している作品です。ホイッスラー氏は、自然を詩的な光の中で見ますし、色彩に対して生来の感覚を持っています。彼は、それらの絵を描く前に、多くの研究をしたと思います。これらの作品は、天才である良心的な画家の作品であると考えています」(7)
原告側証人に対する尋問が終わると、裁判長のハドルストンは、陪審員の判断を補助し、続く被告側の証人尋問を方向付けるために、次のような要旨のまとめを行った。
自明のことであるが、ラスキン氏の批評は、ホイッスラー氏をからかい、軽蔑するように意図されている。そのかぎりでは、それは中傷ということになるだろう。問題は、それが権利を与えられた言動の範囲内にあるかどうかである。批評家は、正しい判断を下せるように賢明であるべきであり、それを表明する大胆さも持ち合わせていなければならない。正直で公正な批評であれば、表明する権利は認められる。したがって、ここでは、批評が公正であったかどうかがポイントとなる。これまでの同じような事例では、被告が悪意に基づいて批評したということが示されなければ、原告はその批評によって生じた損害に対して補償を求めることはできないという判決が下されている。原告は、名誉毀損が、法的あるいはその他の根拠に基づくことなく公表されたということを示さなければならない。文学評論の分野では、かなりの自由が許されている。被告側弁護士は、ラスキン氏の批評が、許された範囲内での、公正で正直な批評であることを示さなければならない。(8)
(写真は、Asleson, Robyn: Albert Moore, Phaidon Press, 2000.)
Notes
1) Merrill, Linda: A Pot of Paint, Aesthetics on Trial in Whistler v. Ruskin,
Smithsonian Institution Press in conjunction with Freer Gallery of Art,
1992, p.153-154
2) Ibid.,p.156.
3) ibid., p.157.
4) ibid., p.158.
5) ibid., p.159.
6) ibid.
7) ibid., p.160.
8) ibid., p.161.
訂正 前回、被告側弁護士Parryをペリーと表記していましたが、訂正し、それ以前の表記と同じ「パリー」にしました。また、Cremorne
Gardens を、まちがってクレルモン・ガーデンズと読んでいました。以前にとっていた表記「クレマーン・ガーデンズ」に訂正いたします。これら以外にも、間違いや混乱があるのではないかと思っていますが、気づいた上記2点について、訂正してお詫びいたします。
ホイッスラーの作品を集めたサイト:ARTCYCLOPEDIA
http://www.artcyclopedia.com/artists/whistler_james_mcneill.html
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