ホイッスラーの美術論 (28)
ホイッスラー対ラスキン(9)
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裁判は、1878年11月25日に開かれることになった。その予定が決まると、ラスキン側の弁護士事務所は、ホイッスラー側の弁護士事務所に対して、グロブナー画廊に展示されたホイッスラーの作品を事前に見ることのできる機会を設けることを求めた。双方でやりとりがあったのち、事前に作品を見せる便宜を図ることは裁判所の命令となり、11月16日に作品4点をラスキン側の専門家に見せる機会が設けられた。その時に、ラスキン側の専門家として作品を見たのはアーサー・セヴァーンであったと考えられている。(1)
セヴァーンは、ホイッスラーの古くからの友人でもあった。ホイッスラーの《オールド・ウェストミンスター・ブリッジの最後》(1862年)は、セヴァーンのアパートの窓からの風景を描いた作品であるといわれている。セヴァーンは、ホイッスラーの才能を高く評価する一方で、ラスキンの思想に対して批判的であったことも知られている。しかし、彼はラスキンの従姉妹の夫であり、しかも経済的な自立が困難な画家であったためにラスキンから経済的な援助を受けており、この裁判では画家としてラスキンを援助せざるを得ない立場にいた。(2)
セヴァーンが訪れた日の翌日、ホイッスラーは、新しく建てたものの支払いが滞ったためにすでに差し押さえられていたホワイトハウスのアトリエに、《灰色と黒のアレンジメント:画家の母》、カーライルのスケッチ、《灰色と緑色のハーモニー:シスリー・アレキサンダー嬢》など集め、自分の側の弁護士たちに見せ、裁判前日の11月24日、日曜日には、アルバート・ムーアやフレデリック・レイトンらにも、朝食に招いて見せた。(3)
11月25日、月曜日、裁判はジョン・ウォルター・ハドルストン卿を裁判長として、ウェストミンスターの裁判所で予定通りに開かれた。当日朝、ホイッスラーの側は、裁判所近くのウェストミンスター・パレス・ホテルに部屋を借り、カーライルの肖像画、スペイン王のフィリップ二世を演じる俳優のヘンリー・アーヴィングの肖像画など法廷に提出するのとは別の作品を展示した。(4)
裁判には、グロブナー画廊で展示された8点の作品のうち、《トーマス・カーライルの肖像》を除く7点の提出が求められたが、このうちの2点は所有者が旅行中で不在などの理由によって用意することができなかった(5)。《トーマス・カーライルの肖像》の提出が求められなかったのは、カタログには記載されていないという理由によって被告側が提出を求めなかったからであったが、写実的なこの作品の提出を求めることは、被告側にとっては戦略に合わないことであったのだろう。
ラスキンの側は、ホイッスラーに作品の提出を求めただけでなく、比較を目的として、ラスキンが所有するヴェニス首長アンドレア・グリッティの肖像画を法廷に持ち込んだ(6)。この作品は、現在では、ヴィンセンツォ・カテーナ(c.1480-1531)の作品であるとされ、ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されているが、ラスキンはティツィアーノの作品であると信じて購入した作品であった。ラスキンの側は、優れた技巧と多大な労力とが費やされているこの作品をホイッスラーの作品と対比させることによって主張を裏付けようとしていた。
裁判は2日間にわたり、そこでの弁論や質疑応答は当時の新聞でも報じられた。この訴訟事件に関しては、リンダ・メリルの著作での詳細な記述に大きく依拠してきたが、この著作では、当時の新聞記事と法律事務所員がとった記録に基づいて、裁判の経過の再構築が試みられている(7)。それにしたがって裁判の経過を追ってみよう。
開廷後、最初にホイッスラー側の弁護士、パリーは、訴訟理由について述べ、さらにホテルに展示しているホイッスラーの作品を陪審員が見る機会を設けることを要求した。そのあと、パリーと共にホイッスラー側の弁護士を務めているぺセラムが、作品名に使われている「ノクターン」という言葉の意味について聞き、ホイッスラーは、「『ノクターン』という言葉を使うことによって、私は、その作品から外部的な物語的関心をすべて取り除き、一つの美術的な関心のみを示そうとしました。そのような言葉を使わなければ、その絵には、物語的な関心が付きまとうことになるでしょう。ノクターンは、なによりもまず、線、形、色彩のアレンジメントです。このノクターンは、全体が、私が解決したいと考えているひとつの問題なのです。この調和のとれた結果をもたらすあらゆる方法、そしてどのようなものであれ、自然の中の出来事や物を私は利用します」と答えた。(8)
さらに、ぺセラムが、「アレンジメント」の意味を聞くと、彼は次のように答えた。「線、形、色彩のアレンジメントという意味です。私の作品の中には、夜景を描いたものがありますが、それらの作品群を一般化し、簡潔にまとめるためにノクターンをいう言葉を選びました。音楽の用語を使うことになったのは偶然です。よく誤解されますが、私は、この言葉を使うことによって美術と音楽を結びつけようとしているのではありません」(9)
ラスキン側の弁護士であるホルカーは、訴訟のきっかけになった《黒と金色のノクターン》について聞いた。まず、その主題について聞くと、ホイッスラーは、「夜景を描いた作品であり、クレマーン・ガーデンズの花火を表しています」と答えた。さらにホルカーが「クレマーン・ガーデンズから見た風景ではないのですか」と聞くと、彼は「『クレマーンからの風景』とすると見る人を失望させるだけでしょう。この作品は、一つの美術的なアレンジメントです。それが、私がこの作品をノクターンと呼んでいる理由です」と答えた。(10)
ホルカーは、「この絵を見た公衆のだれかがクレマーンへ行こうとするとは思いませんか」とも聞いた(11)。この質問は、クレマーンが風紀の乱れた歓楽地であるということ、ホイッスラーのこの作品がそうした場所に題材をとっていること、それによってこの作品が公衆に好ましくない影響を与え得るという考えを示唆していたのだろう。
この質問に対してホイッスラーは、「この作品には、公衆に対して、クレマーンについてよくわからせるようなところはありません。どのように述べればよいのかよくわかりませんが、この作品は、単なる色彩のアレンジメントです。そして、売りに出され、値段は200ギニーでした」と答えた。(12)
ホルカーは、ラスキンの主張に従って、《黒と金色のノクターン》の200ギニーという値段が適切かということを問題にした。作品の製作にどれくらいの時間をかけるのかと聞くと、ホイッスラーは2日ぐらいであると答え、これに対してホルカーが、「2日の労働に対して、200ギニーを求めるのですか」と突っ込むと、ホイッスラーは、「いいえ、生涯にわたる仕事の中で得た知識に対して、それを求めるのです」と答えた。この答弁に対しては、傍聴者から賞賛の声が上がったと伝えられている。(13)
ホルカーは、法廷で陪審員に対してホイッスラーのノクターンを供覧することを求めたが、ホイッスラー側の弁護士は、特定の作品のみを供覧することや採光が良くない法廷内での供覧に反対し、カーライルの肖像画などを運び込んでいるウエストミンスター・パレス・ホテルでの供覧を求めた。裁判長の調停により、陪審員は昼食時にホテルへ足を運ぶことになったが、《青と銀色のノクターン》は法廷内で供覧されることになった。(14)
《青と銀色のノクターン》は2点あったが、最初に供覧されたのは、のちに《ノクターン:青と金色、オールド・バッタシー・ブリッジ》と改題された作品である。夜の薄明かりの中にシルエットとして浮かぶ緩やかな孤をなす橋とその上を通行する人、橋の下を通る艀と船頭、橋の下の空間の向こうに広がるテームズ河岸の遠景と花火、などが描かれている。絵は青海波の模様を使った金色の額縁と一体化されており、額縁の右辺中央にホイッスラーの落款が記されている
この作品は、ロンドンの地誌的な作品であるが、題材や構図の取り方は広重の『名所江戸百景』や『東海道五拾三次』から得ているとされている。『名所江戸百景』や『東海道五拾三次』には、橋を描いた絵が多くあるが、ホイッスラーのこの作品ときわめて構図がよく似ているのは『名所江戸百景』七六景の《京橋竹がし》である。この絵も月明かりの夜景であり、人が行き交う橋の孤と橋脚を大きく描き、橋の下の空間の向こうに河岸の遠景が見える構図をとっている。また、橋の下には荷を運ぶ小船を竿で操る船頭が描かれている。《青と銀色のノクターン》は、この京橋の絵の翻案であったとみることさえできる。
ヴィッヒマンは、西洋美術に対する日本の影響を多数の図版によって示した著作で、広重の京橋の版画(1856-58年)、ホイッスラーのバッタシー・ブリッジを描いたスケッチ(1870年頃)、そしてこの《青と銀色のノクターン》(1872-75年頃)を並べ、「ホイッスラーは、日本の版画から直接的な影響を受けたが、特に橋を描いた作品から強い影響を受けた」(15)と述べている。彼は、「橋を描いた西洋の絵画作品は珍しくないが、浮世絵の影響を受けることによってこの題材はより豊かになった」(16)と述べ、日本版画での橋の構図から大きな影響を受けた画家としてモネの名も挙げている。
《青と銀色のノクターン》が供覧に付されると、ホイッスラーは、この絵が橋の下からロンドンの遠景を見ている構図をとっていることを説明した。これに対して、ホルカーは、「この絵が、バッタシーブリッジを正しく描いているというのですか」と質問した。これに対して、ホイッスラーは、「単にバッタシーブリッジを写生することは私の意図するところではありません。絵の中央に描いた橋脚は、バッタシーブリッジの橋脚には似ていないかもしれません。この橋の姿を描こうとしたのではなく、月明かりの中の風景を描こうとしたのです。この絵が何を表しているのかは、見る人によります。ある人にとっては、この絵には、私が意図したことがすべて表れているかもしれませんし、別の人にとってはなにも表されていないことになるのかもしれません」。ホイッスラーは、作者の意図と鑑賞者の主観性を強調した。(17)
続いて、ホイッスラーは、やはりテームズの夜景を描いた《青と銀色のノクターン》を供覧し、さらにウェストミンスター・パレス・ホテルで昼食時に陪審員が見ることになっている作品について簡単に説明したあと、「私のハーモニーとアレンジメントの体系は、どのような批評にさらされるものであるにせよ、生涯にわたる探求の目標です」と述べた。そして、パリーが補足的な質問をしたあと、裁判は昼食のための休憩に入った。(18)
(写真は、Wichmann, Siegfried: Japonisme, The Japanese influence on Western
art since 1858, Tames and Hudson, 1999)
Notes
1) Merrill, Linda: A Pot of Paint, Aesthetics on Trial in Whistler v. Ruskin,
Smithsonian Institution Press in conjunction with Freer Gallery of Art,
1992, p.123-125
2) Ibid.,p.125.
3) ibid.
4) ibid., p.126.
5) ibid., p.126-127.
6) ibid., p.127-128.
7) ibid., p.135.
8) ibid., p.137-144.
9) ibid., p.144.
10) ibid., p.145.
11) ibid.
12) ibid.
13) ibid, p.145-148.
14) ibid.p.148-150.
15) Wichmann, Siegfried: Japonisme, The Japanese influence on Western art
since 1858, Tames and Hudson, 1999.p.138-139.
16) ibid.,p.141.
17) Merrill, op.cit.,p.150-151.
18) ibid.,151-153.
ホイッスラーの作品を集めたサイト:ARTCYCLOPEDIA
http://www.artcyclopedia.com/artists/whistler_james_mcneill.html
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