No.32, March 2002

Art


ホイッスラーの美術論 (21)

ホイッスラー対ラスキン(2)

『フォルス・クラビゲラ』

 ラスキンの『フォルス・クラビゲラ』の最初の号は、1871年1月1日に発行され、以後毎月1日に発行されていた。のちにはジョージ・アレンが発行実務を受け持つようになったようであるが、執筆から編集、印刷業者ヘの依頼、発行まですべてラスキン自身が行った。同じ年に、彼はのちにギルドに発展させた「聖ジョージ」という社会運動を発足させたが、『フォルス・クラビゲラ』は、その運動への参加者に連絡や彼の思想を伝えるという目的を持っていたようだ。レターというよりもパンフレットという性格のものであった。

 誌名の『フォルス・クラビゲラ』はラテン語であり、1874年7月に発行された第43号で、ラスキンは初めてその意味について、「フォルス」は「偶然あるいは幸運の力」であり、「クラビゲラ」は運命を固定する「釘を持つ」という意味であると述べた(1)。しかし、その後、異なった意味の説明もしており、明確ではない。「クラビゲラ」には「棍棒」「鍵」という意味もあり、「フォルス・クラビゲラ」は、「棍棒を持った力」という意味も持つ。ホイッスラーに向けられた批判では、「フォルス・クラビゲラ」は、この意味を帯びていたのではないかと考えられよう。

 『フォルス・クラビゲラ』には「英国の職人と労働者への手紙」という副題が付けられていた。しかし、1号10ペンスという購読料は、労働者階級が払える額ではなく、内容も、およそ労働者階級向けといえるものでなかった。「労働者階級向け」は、「聖ジョージ」という社会運動を意識したものであり、またこの頃、彼が好んでいたスタイルでもあった。発行部数は、1000部以下であった。

 『フォルス・クラビゲラ』には、いろいろなことが、その時々に応じて書かれていたようであるが、矛盾や不可解に満ちていたと言われている。創刊した年の7月号では、彼は、自分は「昔流の共産主義者であり、赤の中の赤」であると書き、10月号では、「私は、父と同様、昔流の激しい保守主義者である」と書いた(2)。また、特定の個人にあてて書いてあるために他の人は意味をつかめないようなことや彼の著書を詳しく読まなければ理解できないようなことなども書かれていた。

 ラスキンの伝記の著者、ヒルトンは、『フォルス・クラビゲラ』の「理想的な読者として想像できるのは、労働者ではなくオックスフォード大学の学生である」と書いている。オックスフォードの熟練した学者から見れば、ラスキンの思想は勝手であいまいであり、過度にドグマチックであったが、学生は偉大な精神に触れているという実感とインスピレーションを感じとることができたのではないだろうかという。(3)

 『フォルス・クラビゲラ』は、ラスキンの社会活動の武器でもあり、また様々な感情のはけ口でもあった。1875年には、自由主義の政治家グラドストンを、激しく、また品位のない語句を用いて攻撃した(4)。ホイッスラーが、『フォルス・クラビゲラ』で激しく批判されたのも1877年の7月が初めてではなかったようである(5)。

(写真は、Hilton, Tim: John Ruskin, The Later Years, Yale University Press, 2000. Sir Hubert von Herkomer,1879によるジョン・ラスキンの肖像(National Portrait Gallerry, London)が使われている)

Notes

1) Hilton, Tim: John Ruskin, The Later Years, Yale University Press, 2000. p. 188-189.
2) ibid.,p.198-9.
3) ibid.,p.200.
4) ibid.,p.369.
5) ibid.,p.357.

ホイッスラーの作品を集めたサイト:ARTCYCLOPEDIA
http://www.artcyclopedia.com/artists/whistler_james_mcneill.html
 


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