ホイッスラーの美術論 (20)
ホイッスラー対ラスキン(1)
グロブナー画廊
ホイッスラーがホワイトハウスを建てようとしていた1877年春、ロンドンに新しい画廊、グロブナー画廊が開設された。富裕な銀行家、コウツ・リンゼー卿が開設者として資金を提供し、親しい美術記者や画家を支援者としてスタートしたこの画廊では、その時代の新しい美術作品の展示を意図していた。また、所有者がまだ決まっていない作品は売られることになっていた。(1)
場所は、高級住宅地、メイフェアーからも便利な場所であるニューボンド・ストリートが選ばれていた。入口にはイタリアの教会の構築物を移築し、壁面には深紅のダマスク織りを懸架し、ペルシャ絨毯、ベルベットの長椅子、大理石のテーブルなどを揃えて、イタリアのルネッサンス期の宮殿を思わせるような豪華なしつらえが施されていた。アーチ型の天井は、星を散りばめた青色で装飾されていたが、それはリンゼーの自宅の広間と同じにしたものであった。(2)
開設記念展示には、209点の絵画、彫刻が展示された。それらの作品は、リンゼーと彼の支援者である美術通が自由に選んで招待した画家・彫刻家たちの作品であり、官展ともいえるロイヤル・アカデミー展には展示されない作家の作品も多く含まれていた。(3)
1870年代になって、ロイヤル・アカデミー展に展示されない作家の作品を展示する画廊として、すでにダドレイ画廊、ニュー・ブリティッシ・インスティチュート、ファイン・アート・ソサイアティーが開設されていた(4)。グロブナー画廊は、そうした画廊の一つとして新たに加わったのであるが、豪華な造りの画廊の開設は唯美主義運動とも呼ばれた当時の美術ブームを象徴していた。
開設記念展示は、5月1日から一般に公開された。まだ、オックスフォード大学の学生であったオスカー・ワイルドもその展示を見て感想を書き残している(5)。
ホイッスラーは、招待されて開設記念展示に肖像画と風景画8点を展示した。それらは、次の作品である。
■《灰色と黒のアレンジメント No.2:トーマス・カーライルの肖像》、
■《黒と金色のノクターン》(のちに、題名に「落ちる花火」が加えられた)
■《青と銀色のノクターン》と題された作品2点(そのうちの1点はのちに《ノクターン:青と金色、旧バッタシー橋》と改題)
■《青と金色のノクターン》(のちに《ノクターン: 灰色と金色、ウエストミンスター橋》と改題)
■《黒のアレンジメント No.3:スペインのフィリップ二世を演じるアーヴィング》(のちにアーヴィングをヘンリー.アーヴィング卿に変更、俳優ヘンリー・アーヴィングの肖像)
■《茶色のアレンジメント》(のちに《黒と茶色のアレンジメント:毛皮のジャケット》と改題)
■《琥珀色と黒のハーモニー》(のちに《フローレンス・レイランド嬢の肖像》と改題)。(6)
これらの作品のうち、《トーマス・カーライルの肖像》は、玄関の特別な位置に展示され、残りの作品は西展示室に展示された。ノクターン4点のうち、《黒と金色のノクターン》を除く3点は、すでに売却や贈呈によってフランセス・レイランドらの所有作品となっていた。5点は、ホイッスラーの手元に残されていた作品であったが、この展示で売りに出されたのは、そのうちの1点、《黒と金色のノクターン》だけであった。その作品は、1875年にダドレー画廊に最初に展示されたときには262ポンドの価格が付けられたが、この展示ではそれより少し安く、200ギニー(210ポンド)の価格が付けられた。(7)
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティは、招待を断り、作品を展示しなかったが、画廊開設1カ月前に『タイムズ』紙に寄稿し、この事業は、「現在の最も美しい作品を生み出している画家」と関係をもった場合にのみ成功するだろう、と述べた(8)。彼が言うその画家は、エドワード・バーン=ジョーンズであった。アメリカ人作家のヘンリー・ジェイムズは、アメリカの雑誌に、バーン=ジョーンズの作品の前には、一段と多くの人が集まっていたと書いている(9)。バーン=ジョーンズの作品は、この展示を契機として人気を高めた。
G・F・ワッツ、ジョン・エヴァレット・ミレー、エドワード・J・ポインター、ローレンス・アルマ=タデマら、ロイヤル・アカデミーの有力者たちの作品も展示された。そのため、その年のロイヤル・アカデミー展は低調であったといわれている。(10)
グロブナー画廊の開設記念展示が始まったとき、ラファエル前派の支援者、またロンドンの指導的な美術評論家であり、オックスフォード大学スレード講座の教授でもあったジョン・ラスキンは、イタリアのヴェニスを訪れていた。6月に帰国した彼は多忙であったが、その合間を縫ってグロブナー画廊を訪れた。
彼は、その批評を自分が発行している月刊のニューズレター『フォルス・クラビゲラ』の7月号に書いた。
評の大部分は、バーン=ジョーンズの作品の称賛からなっていたが、ロンドンの美術通たちを驚かせたのはその結論であった。彼はバーン=ジョーンズの作品の欠点に同情を示し、それに比較してホイッスラーの作品の欠点は受け入れがたいものであるとして痛烈な言葉を用いて批判していた。(11)
「バーンー=ジョーンズの絵では、形式主義と誤りがどれほどのものであるにせよ、気取りがなければ手抜きもない。その作品は、われわれにとって見慣れないものであれ、その画家にとっては自然なものである。その作品は、彼自身が目指すもの、あるいはわれわれが求めるものからかけ離れており、不完全であったにせよ、最大限の良心的な配慮によって制作されている。そのように言うことは、現代派の他の作品についてはできない。彼らの作品の風変わりなところは、常にある程度、無理強いして作ったものである。また、彼らの作品の不完全さは、不適切にかあるいは意味もなく好まれている。購入者の保護のためにはもちろんのこと、ホイッスラー氏自身のためにも、コウツ・リンゼー卿は、彼の作品を展示すべきではなかった。それらの作品においては、間違った自惚れが意図的な詐欺に近い段階にまで達している。私は、これまでに、何度もコックニーの無分別を見たり聞いたりしてきた。しかし、公衆の顔面に絵具の壷を投げつけるようなものに対して、気取り屋が200ギニーも要求するという話を聞こうとは思ってもいなかった」(12)
ラスキンが、「公衆の顔面に絵具の壷を投げつけるようなもの」と酷評したのは、ホイッスラーの《黒と金色のノクターン》であった。彼は、リンゼー卿の能力についても、「まだ、美術においても店の経営においても素人である」(13)と軽蔑的な評を下した。
(写真は、Merrill, Linda: A Pot of Paint, Aesthetics on Trial in Whistler
v. Ruskin, Smithsonian Institution Press in conjunction with Freer Gallery
of Art, 1992.の表紙に使われているホイッスラーの《黒と金色のノクターン:落ちる花火》)
Notes
1) Merrill, Linda: A Pot of Paint, Aesthetics on Trial in Whistler v. Ruskin,
Smithsonian Institution Press in conjunction with Freer Gallery of Art,
1992. p.9-12.
2) ibid, p.11-12.
3) ibid, p.12.
4) ibid.
5) ibid, p.9.
6) ibid, p.35-43.
7) ibid, p.35-36.
8) ibid, p.14.
9) ibid, p.18.
10) ibid, p.13.
11) Hilton, Tim: John Ruskin, The Later Years, Yale University Press, 2000.
p.356.
12) ibid, p.356-357.
13) Laver, James : Whistler, Faber and Faber, 1951. p.154.
ホイッスラーの作品を集めたサイト:ARTCYCLOPEDIA
http://www.artcyclopedia.com/artists/whistler_james_mcneill.html
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