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ホイッスラーの美術論 (2)
ホイッスラーの講演『十時』を興行として引き受けたのは、ヘレン・オイリイ・カルテという有名な興行師だった。彼女は、ギルバート・アンド・サリバンのオペッレッタの興行師であり、オスカー・ワイルドの米国講演ツアーを企画したのも彼女だった。ホイッスラーの講演会を引き受けたころ、彼女は有名な日本趣味のオペレッタ『ミカド』の公演準備にとりかかっていた。(1)
『十時』の入場料1ギニー(1.1ポンド)は、かなりの高額だったようである。友人の画家アルバート・ムアはお金がないために行かずにすませようとしたが、ホイッスラーに強く請われて聴衆になった。また、友人への手紙で、ホイッスラーは、弟子のウォルター・シッカートは、質入して入場料を工面したと告げている。(2)
講演原稿の準備は、1884年の秋から始められていたが、クリスマスが終わったあと本格的に取り組まれたようである。現存している原稿には、多大な推敲の跡が認められ、それらは主にシッカートの筆跡であると判断されている。シッカートは口述筆記によって講演原稿の執筆を補助しただけでなく、文の作成も手助けしたのではないかという見方(3)もされているが定かではない。シッカートがそのような補助をしたにしろ、講演論旨の本質にかかわるようなものではなかったと考えるのが妥当であろう。
講演原稿が出来上がったのは1885年2月の第2週の終わりごろであった。チケットはホイッスラー自らがデザインし、ポスターにもそのデザインが使われた。講演会の前日の夜、ホイッスラーはプリンシズ・ホールでリハーサルを行い、ヘレン・オイリイ・カルテが発声などについて指導した。そして、2月20日の夜がやってきた。
聴衆は500人ほどであった。そのうち350人は、ホイッスラーが招待した人々であった。彼らは、友人、パトロン、批評家ら重要な聴衆であり、前6列があてがわれ、席はホイッスラーが決めた。ホイッスラーの理解者であったフランスの批評家・画商、テオドル・デュレは最前列に座った。また、スコットランドへの講演旅行から帰ったばかりのオスカー・ワイルドは、6列目の中央に夫人とともに座った。(4)
そのほか、聴衆としては、次のような名前が挙げられている。レディー・ランドルフ・チャーチル、アメリカ人画家のジョージ・ボートンとハーパー・ペニントン、ダンレイヴン卿、ホイッスラーの弁護士ジョージ・ルイス、講演会を開くにあたってホイッスラーが最初に相談したアーチボルド・フォーブス、パリ時代からの友人であった画家エドワード・ジョン・ポインター、ホイッスラーの弟ウィリアムと夫人、アーサー・サリヴァン卿、画家ハーバート・ハーコマー、彫刻家J・E・ベーム、建築家のエドワード・ゴドウィンと夫人、ホイッスラーと同居していた愛人のモード・フランクリン、弟子のウォルター・シッカートとモーティマー・メンペス、ダウデスウエルズら画商、エッチングの販売を行っていたファインアート・ソサイアティの代表者、批評家ジョージ・ムア。記者たちは、後方の席をあてがわれた。(5)
イヴニング姿のホイッスラーは、10時15分に演壇に現れた。壇上のホイッスラーをワイルドは、「群衆をからかうメフィストフェレスのミニアチャのようだった」と評し、別の友人はホイッスラー自身が描いたコンサートの舞台でのサラサーテのようであったと評した。(6)
「皆さんの前に、説教師の役柄で登場することは、大変な躊躇と疑問の念を抱いてのことです」とホイッスラーは切り出した。そして、ひねった構文で講演に不慣れなことを詫びたあと、その日の講演のテーマが美術であることを告げた。(7)
「そうです。美術。多くの議論や記事によってわかるように、それが最近ありふれた茶飲み話のようなものになってきました。」
「美術が街にあふれています。通り掛かりの紳士がそれについて語り、家庭の中へと誘われていきます。教養と洗練の証として仲間うちの中へ持ちこまれていきます。
親しみやすさが軽蔑を育んでいくとするならば、まさに美術――あるいは最近そうであるといわれているもの――は、親しみやすさの最も低位なところへと持ってこられています。
人々は、あらゆる装いを凝らした美術につきまとわれ、どのようにして我慢すればよいか心を悩ましています。彼らは、いかにして美術を愛するべきか、そしてそれをいかに生活の中に取り入れるかについて教えられています。彼らの家は侵入され、壁は壁紙で、そして衣服まで、そしてついには目覚め、当惑し、無神経な教えに対して疑いと不快を感じ、このような侵入に対して怒りを感じ、美の評判を貶めて自分たちへの嘲りを招いた偽りの予言者を放逐するのです。
嘆かわしいことに、皆さん、美術は歪められています。彼女(美術)はこのような行いとは何の共通点も持っていません。彼女は、優雅な想念の女神であり、寡黙をならいとし、押し付けがましさを控えようとします。人を助けようとしたりもしません。」
ホイッスラーは、このように、冒頭から唯美主義の流行を痛烈な言葉で皮肉り、否定した。
(写真は、Whistler, James Abbott McNeill : The Gentle Art of Making Enemy,
William Heinemann,1892. の復刻縮刷版であるDover Publications, 1967版の"TEN
O'CLOCK"のタイトルページの一部。ホイッスラーはこの本の装丁を自ら手がけた。イラストは本書の各所に使われているホイッスラーの落款、蝶の絵である。本書では、蝶は尾に針を持っており、さまざまな姿態をとっている。蝶ではあるがさそりとの合いの子であるとされている。)
引用文献
1) Pennell, E. R. and J. : The Life of James McNeill Whistler, vol.I &
II, William Heinemann, 1908. Vol.II, p.36-37.
2) Anderson, Ronald and Anne Koval : James McNeill Whistler, John Murray,
1994. p.264.
3) Ibid.,p.265.
4) Ibid. p.266.
5) Ibid.
6) Pennell, op.cit., p.38.
7) 『十時』の講演内容は、Whistler, James Abbott McNeill : The Gentle Art
of Making Enemy, Dover Publications, 1967.p.135-159.による。
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