No.20 , December 2000

Art


ホイッスラーの美術論 (10)


 チリのヴァルパライソからロンドンへ帰ったホイッスラーは、1865年に描き始めたあと旅行で中断していた《Symphony in White, No.3》を完成させた。この作品は、しばらくしてパリへ送られた。ファンタン=ラトゥールやマネ、ティソ、ドガらパリの画家たちは、この作品を賞賛し、ドガとマネは、のちにその作品の構図を模した作品を描いたとされている。(1)

 この作品では、白いドレスを着た二人の女性が左右に描かれ、左の女性はソファの上で肘をついて上体を水平にする姿勢をとり、右側の女性は腕のみをソファの上にのせて床の上に座っている。二人は構図を構成するための姿勢をとっているようである。ファンタン=ラトゥールは、この作品について、独創的であるが、「あまりにも漠然としており、夢想的である」との感想をホイッスラーに書き送った(2)。

 この感想は、批判の意味を込めたものであったが、「漠然としており、夢想的である」ことは、ホイッスラーの意図であったといえる。この作品の手法は、彼がトゥルーヴィル滞在中に模索し始め、さらにヴァルパライソの風景を題材にして発展させた、薄明の光彩の微妙さをとらえようとする風景画での追求と軌を一にしていた。絵具を薄くして軽快にしたタッチや平面的な画面構成を、彼は人物画においても追求し始めていた。

 この作品は、パリへ送られたもののパリ・サロンには応募されず、1867年5月のロイヤル・サロンに展示された。この年のパリ・サロンに彼が応募して展示されたのは、《At the Piano》と《The Tames in Ice》であった(3)。彼は、パリ・サロンの保守性を考慮して応募作品を決めたのだろう。

 1867年のはじめに、彼は住居をリンゼイ・ロウ七番地から近くのリンゼイ・ロウ二番地へ移した。この転居は、おそらくジョアンナとの別離に伴うものであったと見られているが、三階建てのその新しい住居からはテームズ河をのぞむことができ、その風景を新しい目でとらえようとしていた彼にとって、好都合であった。

 しかし、この年、彼は大きな課題を与えられ、それに取り組まねばならないことになった。それは、リヴァプールの富豪、フレデリック・R・レイランドからの依頼であった。

 レイランドは、リヴァプールで貧しい両親のもとに生まれ、ビビーという海運会社で働いた後、叩き上げで自分自身の海運会社を興し、富豪となった非凡な人物であった(4)。19世紀を通じて、リヴァプールの富裕な商人たちは、文化的伝統を育んでいたが、レイランドは、そのなかでも際立っており、芸術家のパトロンという、それまでは貴族のものであった趣味を、ブルジョワが自分たちのものにしていくという例を典型的に表していた。

 レイランドは、それまでラファエル前派の作品を主に収集していた。ホイッスラーは、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの紹介で、レイランドと知り合ったとみられている。

 レイランドが、ホイッスラーに依頼したのは、彼がロンドンに所有する邸宅の壁を飾る装飾的な絵画であった。ホイッスラーには、前もって多額の代金が支払われた。

 ホイッスラーは、英国博物館の向かいにあった建築家フレデリック・ジェイムソンのアトリエを借りて制作に取り組んだ。依頼主の意図がどのようなものであったのかはわからないが、ホイッスラーが取り組んだのは、享楽的で装飾的な作品であった。彼は、それを完成させることはできなかったが、油彩のスケッチ6点が残されている。これらは、ペネルによって《Six Projects》と名づけられている。(5)

 スケッチは、6点とも木製のパネルの上に張った板紙に描かれている(6)。これらのスケッチで彼が追求したのは、古典的なギリシャ美術と日本美術の融合であり、また色彩と形象のハーモニーであった。

 6点は、タナグラ様式の着衣の女性たちが日本の団扇や日傘をもって海辺で遊ぶ様子を描いたものが4点、あとの2点には、ヴィーナスの誕生を描いたものと庭園で語り合う2人の女性像が描かれている。

 彼は、ギリシャの女性像を研究するために、向かいの英国博物館に毎日でも足を運ぶことができた。また、ギリシャの美術様式を取り入れていたアルバート・ムーアの作品からも示唆を得た。さらに彼は壁画や壁装飾のための作品を多く手がけていたエドワード・バーン=ジョーンズの作品からも示唆を得たとみられている。(7)

 この一連の作品に取り組んでいくうえで、彼は北斎や清長の版画からも大きな示唆を得た。日傘を持つ美人像、海浜や庭に遊ぶ女性の群像は浮世絵に多く描かれているが、ホイッスラーは、《Six Projects》にこうした浮世絵の構図をとり入れた。《Six Projects》と清長の作品の構図のそうした類似性を最初に指摘したのは、日本美術の収集家であり同時にホイッスラーのパトロンにもなったアメリカ人のチャールズ・ラング・フリーアであったとされている(8)。

 《Six Projects》とほぼ同時期に描かれた《Variations in Fresh Colour and Green: The Balcony》(1864-1870)は、鳥居清長の《美南見十二候・六月 品川の夏》の構図を直接的に模していることが知られている(9)。《品川の夏》は、海に向かって戸を開け放たれた座敷の外の廊下でくつろぐ、品川の遊里の女たちを描いた作品である。《Six Projects》では女性たちの着衣はギリシャ様式であるが、《Balcony》では、テームズ河畔のバルコニーで遊ぶ女性たちに着せられているのは日本の着物であり、ジャポニスムが明確に打ち出されている。

(写真は、Pennell, E. R. and J. : The Life of James McNeill Whistler, vol.I , William Heinemann, 1908)

引用文献

1) Dorment, Richard and MacDonald, Margaret F.: James McNeill Whistler, Harry N. Abrams, 1995.p.80.
2) Spencer, Robins : Whistler, Portland House, 1990.p.68.
3) Anderson, Ronald and Anne Koval : James McNeill Whistler, John Murray, 1994.p.167.
4) Laver, James : Whistler, Faber and Faber, 1951.p.127.
5-9) Dorment, Richard and MacDonald, Margaret F.,op.cit., p.92-94.

ホイッスラーの作品を集めたサイト:ARTCYCLOPEDIA
http://www.artcyclopedia.com/artists/whistler_james_mcneill.html
 


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