No.7  September 1999


Essays

エズラ・パウンドの服装スタイル

 1912年に刊行されたエッセイ「詩の知恵」で、エズラ・パウンドは詩人の社会的役割を歴史的に考察し、古代においては、詩人は歴史家、系図学者、宗教的祭儀を司る人間などとしてコミュニティの中で役割を与えられていたと書いている。また、中世のプロヴァンスでは詩(ゲイ・サヴォワール)は、劇、またオペラであり、トルバドゥールや吟遊詩人たちは著述家、劇作家、作曲家、俳優、そして人気のあるテノール歌手でもあったと述べている。(1)

 彼はこうした古来の詩人像に強い親近感を抱き、その復活をもくろんでいたようである。そうした彼にとって、服装あるいは衣装は、詩人像を形成するための一つの道具立てであっただろう。幼少時から晩年にいたるまでの彼の写真を多く集めた本(2,3)を見ると、彼の服装は概してラフであるが、入念に選んでいたようすがうかがえる。

 1901年から1902年にかけての時期に、およそ60人ほどのペンシルヴェニア大学の第1学年の学生たちが並んで撮影した記念写真(4)がある。パウンドを除いてはだれもが無帽で、ほとんどは黒っぽいネクタイを締めているが、最後列の左端に立つパウンドはベレー帽をかぶり、白いスカーフで襟元を飾っている。

 他の学生たちとは異なった服装をすることによって、彼は単に目立とうとしたのでなく、自分が他の大勢の学生とは違う人間であることを示そうとしたのだろう。彼は自分を民衆の中の一人であるとは考えていなかった。彼にとって、詩人とは単に詩を書く人間ではなく、予言者のような存在であった。詩人になることは、自己をエリートとして位置付けることであり、また一方で、自分をアウトサイダーとして大衆から疎外することであった。目立つ服装は、彼にとってダンディズムの表現ではなく、アウトサイダーとしての衣装であったのだろう。

 ロンドンへ渡ると、彼は、いっそう目立つ、奇異ともいえる服装スタイルを強いられた。1913年頃、ロンドンの文学界は多くの詩人やグループが認められようとしのぎを削っており、だれもが目立とうとしていたのだという。パウンドのズボンの色は緑色であったという話が伝わっているが、パウンド夫人のドロシー・パウンドは、それはパウンドではなく、彼に師事していたリチャード・アルディントンのことであったといっている。パウンドは、ソレル流の髭をはやし、異国風の服を着て、片側の耳に頬を横切って揺れるイヤリングを着けていた。(5)

 1913年にロンドンを訪れたアメリカの女性詩人、エイミ・ロウエルは、友人にパウンドの印象を、「おそらくオスカー・ワイルド以来、見かけられたことがないような服装をしてロンドンの通りを歩いている」と書き送った(6)。

 「話題にされることよりも、さらに悪いことは話題にされないことだ」というワイルドの警句にパウンドは留意していたのだろう、とマイケル・レックは書いている(7)。

 パウンドは、1920年からパリに長く滞在するようになり、1921年に移住した。パリで英語書籍の貸本店、シェイクスピア書店を開いていたアメリカ人のシルヴィア・ビーチは、1920年6月にパウンドが初めて店を訪れたときの印象を書きとめている(8)。パウンドは襟の開いたシャツの上にヴェルヴェットのジャケットを着ていた。それは当時のイギリスの美術愛好家(aesthete)たちの服装スタイルであったという。aestheteという語には、ボヘミアン的な人、また作家や詩人よりは画家に近いというニュアンスも感じられる。ビーチは、パウンドを見たとき、ホイッスラーを思い浮かべた。

 同じ年のはじめに、パリのカルチェ・ラタンの歩道脇のレストランで食事をしていたときに、パウンドが歩いてきたところを見かけたアメリカ人の音楽・文学評論家、ポール・ローゼンフェルトは、彼がオペラ『ボエーム』から抜け出てきたような姿をしていたと回顧している(9)。黒っぽいソンブレロをかぶり、青いシャツの襟を大きく広げて英国仕立ての上着の襟に重ねていた。手入れの行き届いた髭が引き立ち、ステッキを弄んでいた彼は、プッチーニのオペラに出てくる1830年代の芸術家のようであり、ときおり海に出る北欧の「飾り物的な」海賊のようでもあったという。パウンドは、一瞬立ち止まり、レストランの客のなかに知り合いがいないかどうか見渡しているようであったが、自分が与えている印象を確かめているようでもあったとローゼンフェルトは書いている。

 ローゼンフェルトの、この回顧を引用しているパウンド研究者のロバート・カシロは、「すでに心を占拠された、堅実で受動的な群衆の前に立ち止まって、パウンドは彼らを驚かせ、挑発し、そして支配しようとするのである」(10)と述べている。ローゼンフェルトが記述したパウンドの服装や行動に、カシロは、ローゼンフェルトと同じようにパウンドの俳優的な意図を読み取ろうとし、群衆から自己を疎外しつつ群衆を挑発し、さらに群衆の関心を自己に引きつけようとするパウンドの心理を見出そうとしているのである。

 パウンドの友人であったエリオットは、銀行員、出版社経営者、ノーべル文学賞受賞者としての服装を強いられたのかもしれないが、英国紳士風の服装を好んでいたとされている(11)。また、ジョイスは、多くの写真(12)からはブルジョワ的なダンディズムを好んでいたようすがうかがえるが、舞台衣装のような着こなしも感じさせる。

 職人の伝統とつながりを持っていた美術と異なって、文学には紳士の余技といった伝統があったのだろうが、パウンドの同時代の作家や詩人の服装にもそうした伝統の反映が強く感じられる。パウンドの服装スタイルは、紳士の余技といった伝統を拒否した職業芸術家のものであったということができるだろう。また、さまざまな才能がさまざまな衣装をまとって、神話の中の神々のような役割を与えられて飛翔する現代社会のスタイルを先取りしていたとみることもできよう。

引用文献
1) Pound, Ezra : Selected Prose 1909-1965,ed.by William Cookson, Faber and Faber,London,1973. p.330-331.
2) Ackroyd, Peter : Ezra Pound, Thames and Hudson, 1981.
3) Carpenter, Humphrey: A Serious Character--The Life of Ezra Pound, Houghton Mifflin Company, 1988.
4) ibid.
5) Reck, Michael : Ezra Pound, a close-up, McGraw-Hill, 1973. p.13-14
6) Carpenter : op.cit., p.208-209.
7) Reck : op.cit., p.14.
8) Beach, Sylvia : Shakespeare & Company, University of Nebraska Press, 1991.p.26.
9)Rosenfeld, Paul : "The case of Ezra Pound," American Mercury, January 1944, LVIII, p.98-102, reprinted in Homberger, Eric(ed.) : Ezra Pound : The critical heritage, Routledge, 1997. p.353.
10) Casillo, Robert : The genealogy of daemons, Anti-semitism, fascism, and the myths of Ezra Pound, Northwestern University Press, 1988.p.168.
11) Ackroid, Peter : T. S. Eliot, Sphere Books, 1989.p.165-166.
12) Anderson, Chester G.: James Joyce, Tames and Hudson, 1967.
(写真は、パウンドの写真を多く集めているAckroyd, Peter : Ezra Pound, Thames and Hudson, 1981.)


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