No.2  March 1999


Essays

漢字とIdeogrammic Method

 西洋人が漢字について知り始めたのは、イエズス会士たちが中国研究の成果を持ち帰えるようになってからのようである。一七世紀はじめにはフランシス・ベーコンが漢字に関心を持ち、表意文字を使えば異なった言語間でもコミュニケーションができることに注目した、とエズラ・パウンドの著名な研究者であるケナーは述べている。一七世紀半ばには、漢字のこのような特性に注目して、ニュートンやライプニッツが表意文字によって世界語が作れるのではないかと考えるようになったという。(1)

 一九世紀末、明治の日本を訪れたフェノロサは、漢詩人、森槐南から講義を受け、詩の媒体としての漢字について考察した。彼の考察はいくつかの要点から成っているが、漢字の象形性に注目した部分では、「人見馬」という文を挙げ、漢文では一字一字が映画のコマのような役割を果たし、具体的なイメージが時間軸に従って動いていくと述べている。そして、「絵画や写真の非真実性は、それ自体は確固としたものでありながら、自然な時間経過を切り捨てている点にある」とし、漢詩は絵画や写真が持つ視覚性と詩が持つ時間性を同時に併せ持っていると述べている。(2)

 フェノロサのこうした考察を記したノートは、未亡人メアリー・フェノロサを通して一九一三年にエズラ・パウンドの手に渡り、彼の詩作に強い影響を与えた。パウンドは、このノートを編集して出版したが、それに付した序(一九一八年)で、フェノロサは誰にも気づかれないまま、西洋の絵画や詩の新しい様式の先駆者になっていた、と書いている。

 一九一〇年代のはじめ、絵画の分野ではキュービズムを追求する過程でピカソがコラージュの技法を発見し、詩の分野では未来主義を唱えるマリネッティや彼に賛同するアポリネールが視覚的な呈示を試み、イメージの呈示方法の新しい様式を模索しつつあった。フェノロサの考察は、そうしたヨーロッパの新しい芸術運動と共通するものを持っていたとパウンドは言っているのだろう。

 アポリネールの『カリグラム』での文字の形象的な配列は、アルファベットによって書き表す詩に、漢詩の書のような視覚的効果を持たせようとする試みであったということができるだろう。

 漢字は文字自体が面としての広がりを持ち、コラージュの性質を持っている。その文字を書にすれば、その書はさらに複雑なコラージュを形成する。それに対して、アルファベットの一字一字はいわば点あるいビーズ玉であり、その一つ一つが異なった色彩を持っているとはいえ、それを連ねても視覚的なコラージュを形成することは難しい。アポリネールは、文字を形象的に配列することによって、その限界を打ち破ろうとしたのだろう。彼は、当初それをideogrammes lyriquesと呼んでいた(3)。

 フェノロサの考察から大きな影響を受けたパウンドは、文字の視覚的な配列にとどまらず、文のコラージュによってイメージ呈示するという新しい技法を築き、それをideogrammic method(表意文字法)と呼んだ。

 彼が『キャントウズ』(4)で漢字を散りばめているのは、アポリネールが『カリグラム』で行ったような文字の視覚的な配列、そしてアルファベットと漢字の対置によるコラージュを意図していると思われる(写真)。

 『キャントウズ』では、文あるいは内容をコラージュ的に配置する技法も使われているが、この技法はきわめて現代的な意味を持っていた。

 普通、良いとされる文章は、一本の糸を切れ目なく紡いだようなリニアな構造を持っている。音そして語が時間とともに連ねられていき、意味とイメージを形成していくのである。いわゆる「起承転結」のはっきりした文章ということになるのかもしれない。

 しかし、こうした起承転結のはっきりした文章がすらすらと形成されるのは、定型化した思考を表現する場合だけであり、思考や意識の状態をリアルに表現しようとした場合には形成されにくい。思考や意識は、混沌としてコラージュのようないわば「支離滅裂」ともいえる状態にあることが多いからである。

 言いかえれば、筋の通った文章は、思考をレトリックによって整理することによってはじめて形成されるものであり、既成のレトリックから開放された思考や意識は、そうしたリニアな文章では表現できないということになる。そうしたところに、現代的な文学表現における文のコラージュの意義があるといえる。

 文のコラージュは、フロイトやユングによる人間の意識についての新しい発見に呼応した文学的技法の発見であったとみることもできるだろう。

 パウンドは、『キャントウズ』だけでなく、評論でもideogrammic methodを使った。この方法で書かれた『ABC of Economics』『Jefferson and/or Mussolini』などは、discursive(あちこちに飛躍する、散漫な、支離滅裂な、脱線する)と評されることも多い。

1) Kenner, Hugh: The Pound Era, University of California Press, 1971. 223. 
2) Fenollosa, Ernest (ed. by Pound, Ezra): The Chinese Written Character as a Medium for Poetry, City Lights Books, 1968. 8-9. 、アーネスト・フェノロサ、エズラ・パウンド:詩の媒体としての漢字考(高田美一訳)、東京美術、一九八二年を参考にした。
3) Albright, Daniel : Early Cantos I-XLI, in Nadel, Ira B. (ed), The Cambridge Companion to Ezra Pound, Cambridge Univ. Press, 1999. 61.
4) Pound, Ezra : The Cantos of Ezra Pound, New directions, 1989.


Count
Copyright (C)1999 Hideo Nogami


HOME