No.28 October, 2001

Series


歴史の中のエズラ・パウンド 
第28回
 
第3部 戦後

第15章 統合を求めて
(前半、Section 1)



 一九五五年、バートランド・ラッセル、スティーヴン・スペンダーらが活動家になっていた「文化の自由会議」の関係団体、「文化の自由アメリカ委員会」が、パウンドを釈放し、民間の医師の元で保護観察とするよう要求することを検討した。しかし、セント・エリザベス病院院長のオーヴァーホルサーは、その動きを阻止し、その年の八月に、パウンドが毎日夜八時まで庭の芝生で過ごせるようにする措置をとった。

 この頃、アーチボルド・マクリーシュは、セント・エリザベス病院にパウンドを訪ね、そのあと、オーバーホルサーと話し合った。オーヴァーホルサーは、パウンドは正常であること、もし司法省が起訴を無効にするならすぐにでも退院させること、彼の反逆罪の容疑は重大ではないと思っていること、などを非公式に話した。マクリーシュは、国の名誉のためにもパウンドを釈放すべきであると決意し、起訴の無効化によっての釈放を受け入れるかどうかをパウンドに聞いた。パウンドの答は「イエス」であった。(1)

 パウンドの釈放を検討すべきであるという意見も表明され始めた。一九五六年二月六日発行の『ライフ』は、東京ローズが釈放されたのを契機に、パウンドの起訴の取り下げが考慮されるべき時期にきていると表明した記事を載せた。同誌の社主ヘンリー・ルースの妻クレア・ブーズ・ルースは、当時イタリア大使であった。イタリアのパウンド支持者たちは、彼の釈放を求めて、彼女に嘆願書を出していた。彼女は、それに応えるために夫の力を借りようとしていた(2)。

 マクリーシュは、パウンドの釈放を求めることについて、国民的詩人と言われていたロバート・フロストに相談した。フロストにとって、パウンドは、無名であった自分を詩人として世に送り出してくれた、いわば恩人であった。

 マクリーシュは、司法長官宛てにパウンドの釈放を求める請願書を書き、エリオット、フロスト、ヘミングウェイらの同意を得て、一九五七年一月に送った。請願書では、パウンドが、アメリカを代表する著作家の一人であること、ナチの戦争犯罪者でさえ釈放され始めているのに、アメリカがパウンドをなお拘禁していることは世界中の作家や文学愛好者に影響を及ぼしていること、セント・エリザベス病院の医師の判断ではパウンドは裁判に適さないこと、その状態が持続することなどを挙げ、そのような状態のままパウンドの拘禁を続けることは、アメリカの司法への批判を呼び起こすだけでなく、国家の伝統にもそぐなわず、後世の批判が懸念されると訴えた。(3)

 司法長官ハーバート・ブラウネルは、その六週間後に、検討を命じたことを伝えると返書を送ってきた。四月になると、司法副長官のウィリアム・P・ロジャースが、フロストに請願書の署名者に会って話したいと伝えてきた。七月二九日、マクリーシュはフロストと共に司法副長官と会った。ヘミングウェイとエリオットの手紙も持って行った。その三日後、マクリーシュはパウンドに手紙を書き、ドロシーはパウンドが釈放されることを望んではいないという噂が流れていることに関して確認した。パウンドはその噂は否定したが、釈放に関心を示さなかった。パウンドは、住居や書物を提供された現状の生活に、それなりの快適さを感じ、釈放されることよりも重要な仕事があり、それはセント・エリザベス病院に拘束されていてもできると考えていた。(4)

 ニュー・ディレクションズ社のローリンは、パウンドが釈放されたあと、印税などで彼の生活費は保証するという意志をマクリーシュに表明した。また建築家のフランク・ロイド・ライトは、釈放後、アリゾナ州フェニックス近くのタリーシン・ウエストの自分の住居に住んでもらうことができると表明した。一九五七年八月には、議会でもパウンドを釈放しようとする動きが始まった。そして、一一月になると、パウンドはマクリーシュに、「もうここに十分長くいたと感じるようになった」といい、釈放を受け入れる意志を初めて表明した。(5)

 一九五八年一月一六日、フロストは、アイゼンハワー大統領からアメリカ詩人協会の金賞の受賞を祝福する電報を受け取った。それをきっかけにして、フロストは、ホワイトハウスの主席補佐官シャーマン・アダムズに、大統領にお礼を伝えたいので個人的に会えないだろうかと意向を聞く手紙を書いた。フロストは、その場で大統領にパウンドの件について話すことを考えていた。アダムズは、ローリンの義理の兄弟であり、大統領の経済諮問委員であるガブリエル・ホージからも大統領にパウンドの件を検討してもらいたいとの要請を受けていた。このような働きかけを経て、フロストが大統領らと会食したのは二月一七日の夜である。三月になると、パウンドが釈放されそうだとの噂が広まり、新聞もそれを報じた。四月一日、司法長官は、通例の記者会見で、パウンドを釈放し、彼がイタリアへ行くことを認めることが検討されていると認め、それは医師の判断にかかっていると述べた。パウンドの釈放を検討するための法廷が開かれる四月一八日の数日前になると、ロンドンの『タイムズ』はパウンドの釈放を訴える社説を掲げ、アメリカの有力雑誌『ネーション』も釈放を訴えた。反対するジャー ナリストはいなかった。(6)

 四月一八日に開かれた法廷で、弁護士は、「彼(パウンド)の賞賛者は世界中に数え切れないほどおり、彼らは彼が自由になる望みがあるという知らせを喜ぶだろう。・・・エズラ・パウンドに現在の場所で生涯を終えさせることに我々は耐えられない。そうすることはアメリカ文学に、あまりにも悲しい物語を残してしまうことになる」(7)と書いたフロストの声明を読みあげた。フロストの声明には、ジョン・ドス・パソス、ヴァン・ワイク・ブルックス、マリアン・ムーア、カール・サンドバーグ、W・H・オーデン、マクリーシュ、ロバート・フィッツジェラルド、アレン・テイトらに加えて国連事務総長ダグ・ハマーショルドの声明が付された。

 オーデンは、「パウンドから影響を受けたことを意識していないにせよ、『パウンドがいなかったとしても、私の作品は全く変わらなかっただろう』と言明できる現存中の詩人はほとんどいない」(8)との見方を表明した。

 また、エリオットは、「一九一五年から一九二二年まで、私がエズラ・パウンドの世話になったことは、これまでに十分に明らかにしたと思う。また、詩人、批評家、他の著作家の推進者、韻律的、詩的言語のパイオニアとしての彼の地位についての自分の意見も、いろいろと表明してきた。彼の七〇歳の誕生日は、こうした個人的な賞賛ではなく、後代からの感謝を受けるのにふさわしい彼の文学への貢献を認識し、彼を最も厳しく批判する者であっても認めざるを得ない彼の業績を評価する機会である」(9)とした。

 弁護士は、パウンドの無期限の拘束が、アメリカにとって利益をもたらさないこと、釈放が不利益をもたらさないこと、ドロシーが責任を持って身柄を引き受けることを訴えた。また、オーヴァーホルサーは,宣誓口述書で、パウンドは偏執症的な精神状態にあって裁判には適さないこと、治癒の可能性がないこと、さらに入院させていても治療の手段はなく、より良い結果が得られる見込みがないこと、起訴の対象となっている犯罪の容疑は精神病による可能性が高く、犯罪として立証される可能性は疑わしいこと、起訴が取り下げられた場合、セント・エリザベス病院に収容するよりは、夫人の管理下に置いた方が望ましいことなどを述べた。(10)

 司法省は、申請に反対しない旨を大統領に連絡し、大統領はイニシャルで承認した。最後に、裁判官は起訴の取り下げを決定し、その日の午後、パウンドはワシントンの町へ出た。(11)

 その後三週間、セント・エリザベス病院にとどまったあと、パウンドが、そこを去ったのは一九五八年五月七日である。

(写真は、Pound, Ezra: A Lume Spento and Other Early Poems, New Directions, 1965.)

引用文献

1) Carpenter, Humphrey: A Serious Character--The Life of Ezra Pound, Houghton Mifflin Company, 1988.p.817-818.
2) Stock, Noel : The Life of Ezra Pound (An expanded edition), North Point Press, 1982.,p.438-439.
3)Carpenter, op.cit., p.826.
4) ibid., p.826-831.
5) ibid., p.831.
6) ibid., p.839-842.
7) Cornell, Julien: The Trial of Ezra Pound, A Documented Account of the Treason Case by the Defendant's Lawyer, John Day, 1966., p.130-131.
8) ibid., p.132.
9) ibid.
10) ibid., p.125-129.
11) Carpenter, op.cit., p.842-845.

 この章では、パウンドの伝記的記述は、Stock, Noel : The Life of Ezra Pound (An expanded edition), North Point Press, 1982.、Carpenter, Humphrey : A Serious Character, The Life of Ezra Pound, Houghton Mifflin Company, 1988. を参考にした。


エズラ・パウンド関連サイト
http://www.lit.kobe-u.ac.jp/~hishika/pound.htm: Ezra Pound (神戸大学文学部・菱川英一氏による英文サイト。パウンドの晩年の肖像写真、主要文献リスト、年譜、関連サイトへのリンクなどが掲載されています。主要英米詩人についての情報を得るための同氏作成サイトにリンクしています。)


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