No.6 July 1999

Art

ブランクーシのアトリエ
エズラ・パウンドが訪れた聖人の住家


 エズラ・パウンドは、1920年の12月から1924年10月までパリに住み、その間、何度かブランクーシのアトリエを訪れた。ブランクーシのアトリエは、当時、ロンサン袋小路8番地にあった。

 30代半ばの詩人は、そのアトリエに住むほぼ一〇歳年上の彫刻家に聖人の姿を感じていた。『文化への案内』で、パウンドは、そのアトリエでは「静けさが確立していた」と書き、「聖人の性質は水に似ている」という、中国の格言と思われる言葉を引用している(1)。

 1921年から22年にかけての時期に撮影されたその天井の高いアトリエの写真(2)には、低い木彫の《無限柱》、《空間の鳥》、木彫の《にわとり》、《小さなフランスの娘》、《接吻の柱》、《レダ》などの作品が写っている。

 パウンドがそのアトリエを訪れるとき、ブランクーシは料理を作ってもてなすこともあった。パリにいたアメリカ人作家、ロバート・マキャルモンが、パウンドとともにアトリエを訪れたときのことを回想している(3)。ブランクーシは自分で石を積み上げて造った炉を使い、大きな石の食卓に、ルーマニアのオードブルであるキルシュやステーキ、あるいはローストチキン、サラダ、果物などを出した。ブランクーシの料理は、パリのアメリカ人たちの間では評判だった。

 1922年には、パウンドがブランクーシを自分のアパートでの夕食に招いたこともあった(4)。

 1921年4月末にウィンダム・ルイスに宛てた手紙(5)では、パリへ来たらブランクーシやピカソ、ピカビアのところへ案内したい、とパウンドは書いている。また、モダンアートの収集家であり、パウンドを援助していたニューヨークのジョン・クインが、つい最近ブランクーシの作品を何点か購入したことを伝え、「彼は優れたセンスの持ち主であることを示した」と書いている。

 クインは、その年の夏に、作品の収集を目的として初めてパリを訪れた。ブランクーシのアトリエもおそらく訪れただろう。1923年に再びパリを訪れたときには、彼は、ブランクーシ、作曲家のエリック・サティと連れ立って3人でゴルフに出かけたことが知られている(6)。

 クインは、パリで、パウンドやジョイスにも会った(7)。クインは彼らのパトロンだった。イェイツの紹介でパウンドが1910年に知り合った頃、クインはウィリアム・モリスらの原稿を収集し、イェイツの父親でアメリカに移住していた画家、J・B・イェイツのパトロンでもあった。その後、パウンドの熱心な働きかけもあって、彼はモダンアーティストの作品を収集するようになった。また、パウンド、T・S・エリオット、ジェイムズ・ジョイス、ウィンダム・ルイスらが作品を刊行するのを援助し、原稿を収集した。彼はジョイスからは『ユリシーズ』の原稿を買い、援助に感謝していたエリオットからはパウンドが手を入れた『荒地』の草稿を贈られた。

 パウンドは、1917年に、シカゴで発行されていた『リトル・レビュー』という文学雑誌の海外編集者になったが、これもクインがその雑誌を財政的に援助するという条件によって実現したことであった。パウンドは、その雑誌に、自分の作品だけでなく、ルイスやジョイスの作品を掲載したが、1920年に『ユリシーズ』の「ナウシカ」の章がわいせつであるとして告発され、発行停止に追い込まれる出来事があった。

 それをきっかけに、クインとパウンドの関係は冷却したが、クインが援助を復活して、『リトル・レビュー』は1921年の秋から復刊することが決まり、パウンドは再び編集にかかわることになった。先に挙げたルイス宛ての手紙で、パウンドは、「季刊として復刊し、各号で一人の芸術家の作品の写真を約二十点ずつ掲載する」という編集方針を知らせている。そして、最初に取り上げるのは、ブランクーシであることを伝えた。

 復刊された『リトル・レビュー』1921年秋のブランクーシ特集号で、パウンドはブランクーシの作品をテーマにしたエッセイ「ブランクーシ」(8)を書いた。「私は、永遠の美という論理でテーマを彫る」というレミ・ド・グールモンの言葉の引用で始まるこのエッセイは、ブランクーシとの会話にも基づいており、ブランクーシとパウンドの彫刻に対する思想を知る上で貴重な資料であるといえるだろう。また、これはブランクーシについて書かれた最初の本格的なエッセイであるとされている(9)。

 このエッセイで、パウンドは、ロンドン時代の友人であった彫刻家、アンリ・ゴーディエ=ブゼスカの思想を一つの軸にして論じている。ブゼスカは、ウィンダム・ルイスとパウンドが主導して1914年に始まった英国の前衛芸術運動「ヴォーティシズム」に参加し、その後第1次世界大戦で戦死した彫刻家である。

 ブゼスカもブランクーシも、はじめロダンに傾倒し、やがてそこから決別していった彫刻家である。その彼らの作品にみられるのは、素材の重視、レトリックの排除であるとパウンドは書いている(10)。彫刻を単にフォルムでなく、オブジェとしてとらえるならば、素材はフォルムから切り離せないものであることになるだろう。大理石は、単に刻みやすいから使うのでなく、必然性によって選択されるのである。必然性があれば加工のしにくい石も選ばなければならない。

 ブランクーシは「台座は彫刻の一部であるべきだ」という考えを持っていたとされるが(11)、台座の素材も、彫刻本体の素材とのコンビネーションによって選択されているのだろう。そのコンビネーションには、コラージュの考え方が反映されているようにも思える。パウンドは、《空間の鳥》の台座については、根付や翡翠細工との類似性を感じとっている (12)。

 レトリックについて、パウンドは、「ブゼスカを理解する者は、安っぽいウィーンのミケランジェロ風やメシュトロヴィッチのレトリックにはだまされない」(13)と書いている。複雑で迅速な思考を迫られる現代生活の中で、対象の写実的な形象化とドラマ性による安易なレトリックは瞬時に把握され、一瞥を与えられるだけで、感動を呼び起こすことはできない。次々と新しい「物」や「形」が登場する時代にあって、人々の目を奪う像は写実的な彫刻ではもはやなく、機関車や自動車であり、「メロドラマ」を楽しみたいのであれば映画を見ればよかった。「レトリックの排除」とは、そうした時代にあって、彫刻に新しい地平を切り開くことであったといえるのだろう。

 ロダン-マイヨールの伝統から決別したあと、「ブゼスカは、フォルムのコンビネーションによってフォルムのフーガ、フォルムのソナタといったものを展開し、ブランクーシはさらに困難な、すべてのフォルムを一つのフォルムであらわすという課題の追求に取り組んだ」(14)とパウンドは書いている。そしてブランクーシのこの取り組みは、仏教徒の宇宙に対する瞑想や中世の聖人の神の愛についての瞑想に等しく永い過程であり、『神曲』の最後の言葉のように永い過程であり逆説的であるとしている。すなわち、始めるのは容易だが、まったく終わることのない過程であり、2つの《(空間の)鳥》は、写真では同じように見えても、それらの間には恐らく6カ月間の仕事と20年間の知識がある、という。

 ブランクーシにとって卵形は、フォルムの世界へのマスターキーとなっているものであり、「何千ものアングルのどこから見ても、興味を引く彫刻」(15)ということであるという。「その卵形の彫刻は、ブランクーシが地上の重力から自由になった純粋なフォルムについて瞑想していることを表して」(16)おり、このまだ終えていない、終えることのできない実験での成功の尺度は、「その卵形が生命を持つようになり、今にも浮揚しそうに見えるようになることである」(17)という。そして、「その理想的なフォルムでなされるのは、フォルムによって、あるいはフォルムの完全性を可能な限り意識することによって、無限性にアプローチしていくことである」(18)という。

 ブランクーシの言葉を、パウンドは、『キャントウズ』(19))にも書きとめた。ポンピドーセンターに復元されたブランクーシのアトリエの蔵書(20)には、パウンドの著書『ゴーディエ・ブゼスカ、回想(1916年刊)』(21)が含まれている。これは、パウンドが贈ったものかもしれない。

引用文献
1) Pound, Ezra : Guide to Kulchur,New Directions,1970.p.84.
2) La collection l'atelier Brancusi, Centre Georges Pompidou, 1997. p.58-9.
3) Wilhelm, J.J. : Ezra Pound in London and Paris, 1908-1925, The Pennsylvania State Univ. Press, 1990. p.274. ( McAlmon, Robert : Being Geniuses Together 1920-1930, North Point, 1968.の引用)
4) Pound, Ezra : The selected letters of Ezra Pound to John Quinn, 1915-1924, ed. by Timothy Materer, Duke Univ. Press, 1991. p.216.
5) Pound/Lewis : The Letters of Ezra Pound and Wyndham Lewis(ed. by Timothy Materer), New Directions, 1985, p.127-8.
6) The selected letters of Ezra Pound to John Quinn, p. 10.
7)クインとパウンドの関係については、4) p.1-16による。
8) Pound, Ezra : "Brancusi", Ezra Pound and visual arts (ed. and introduction by Harriet Zinnes), New Directions, 1980. p. 211-214. (The Little Review, VIII, 1, Autumn 1921.から転載, Pound, Ezra : Literary Essays of Ezra Pound, New Directions,1968. p441にも転載されている)
9) 中原祐介:ブランクーシ、美術出版社、一九八六年。p.209.
10) Ezra Pound and visual arts , p.212.
11) 中原祐介:ブランクーシ。p.236.
12) Ezra Pound and visual arts , p.213.
13) ibid. p.211.
14) ibid. p.212.
15) ibid. p.213.
16) ibid.
17) ibid.
18) ibid. p.213-214.
19) Pound, Ezra : The Cantos of Ezra Pound, New directions, 1995. p.579, 580, 697, 821.
20) La collection l'atelier Brancusi, p.245.
21). Pound, Ezra : Gaudier-Brzeska, A Memoir, New Directions,1974.
(ブランクーシの作品名は中原:ブランクーシによった。写真はLa collection l'atelier Brancusi, Centre Georges Pompidou, 1997.)


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