この本に出会ったとき、「何だ、みんな出ているじゃない」 と思ったくらい、私が巡礼で歩きながら感じた事がきれいな言葉で表されていました。
有名な人たちの言葉だったり、聖書からだったりですのでもう既にご存知の言葉でしょうけれど、「巡礼ってなあに?」 と云う問いをなされる方には分かりやすくなるのではないかと思って引用させていただきました。
20年前には年間の巡礼者は3000人程だったのに
2006年には10万人を超えたという
ヨーロッパ中から、いや世界中からこの道へ
人々をひきよせるのは何なんだろう?
「ヤコブの道で 巡礼者手帳」
編者;マンフレッド・ゼントゥグラフ
道が目標である、と皆が言う
出発したその道を歩き続けること、
その道に意味がある(インゴ・セサロ)
巡礼者とは宗教的な動機で聖地に向けて旅する人のこと
民族移動は一人ではできないけど、巡礼は一人でできる
あなたの前に沢山の人たちがその道を通っている
彼らが杖に支えられたように
あなたは彼らの経験を支えにしなさい
この道をひとりで心を込めて歩けば
あなたの前に“まったくの他者”が現れてくるでしょう(トラピスト修道者)
私を満たしている物を取り除こう
私に足りない物で満たそう(アウグスティヌス)
それゆえ私は彼女をいざなって荒地に行き その心に働きかけよう
(ホセア書 2-16)
目をゆっくりと上げて空を眺めてごらん
雲の形を追ってごらん
風のささやきが聞こえるかい
冷たい水に手をいれてごらん
そして静かに注意深く歩いてごらん
私達がこの永遠の宇宙の中で
ほんの短い間だけ居ることを許されている
侵入者であることに気がつくだろう(インドの知恵)
砂漠は神様がお話になるところ
砂漠は悪魔が立ちはだかるところ
(マリー・マドレーヌ・デイビー)
奇跡なのか
この道は君が歩くと
君の足の下で道が育っているみたいだ(ラインホルト・シュナイダー)
道知るべを置き柱を立てよ
あなたの心を広い道に
あなたが通って来た道にむけよ(エレミア 31-21)
十日間ある人とこの道を歩いたら
十年間一緒に暮らしたも同じである(ジャック・ランツマン)
誰も私に成功して欲しいなんて思ってはいないのです
ただ光の方へ一歩を進めて欲しいだけなのです(クリスティアン・ジンガー)
その道を行くことはいいこと
それは;
立ち止まることなく、人と合わせることなく
前に進むことです
信じること、希望を持つこと、愛することのうちに進むのです
理解し判断するということは避けて
全ての創造物が一回限りの存在であるということを忘れないで(ヘルダー・カマラ)
その道を知っていると思っていれば
人は簡単に迷ったりはしない(中国)
巡礼者と云うのは
家に帰ってくる時は
偏見の一つぐらいは失せてるし
良い考えを一つぐらいは持ってくる(トーマス・モールス)
大きく飛び越すことをやってもかまわないでしょう
深淵の上は小またで歩けないのですから(デイビッド・ロイド・ジョージ)
サンティアゴまで歩くということはまったく人生そのものです
本当の意味での旅というのは
終わった時に 出発の時とは違う自分が
歩くという錬金術によって変化した自分が帰ってくるのです
解決のための道とは
右とか左とかへではなく
自分の心の中へと導くものです
そこにだけ神がいる
そこにだけ平安があるのです(ヘルマン・ヘッセ)
もしあなたが平安のうちに生きたいのならば
心配事を抱え込まないことです
過去のものであろうと、現在、未来のものであろうと
囲い込んでおくことがそれを腐らせるのですから(ミッシェル・コイスト)
戻ることは後ろめたい否定的なことではない
未来をもたらす 喜ばしい出発なのだから(ヘルムート・ティーリケ)
歌いながら歩きなさい
道の終わりであなたは生ける神に出会うでしょう(アウグスティヌス)
望もうがのぞむまいが
我々は皆 違った方法ではあるけれども
命の泉へむかっている(アヴィラのテレサ)
もし君達がこの道の上で明日死ななければならないとしたら
こう言いなさい
私の人生は満たされた と
絶対者を求める道の上で死ぬのですから
もし君達が家に帰ってきたら
君達はまだ道の途中にいると答えなさい
今からもずっと道の途中であると
なぜならこの道に終わりはないのです(ホセ・マリア・マロキン)