歩けそうなので出発した。牧草地の真っ只中から虹が立ち上がった。すごく大きい。根元がそこにあるとは!いけるという励ましだ、幸せだ。
3km歩いてサリアに着く。坂道の多い古い美しい町だった。町外れの洒落た建物は何だろうと思ったら、学校だった。レオンでもそうだったが子供達は石畳を踏み美しい建物で学び、外に出て見渡せば緑の山々、牧草地が広がっているという世界。これだけでも決定的に何かが違ってくるだろう。
日本のミッションスクールにはスペイン出身の神父様やシスターがたくさんいらっしゃるけど、日本に留まっている彼らが望郷の念にかられているに違いない、それを抑えているに違いない、などと想像してしまった。
ガルシア地方に入ってから緑が濃くなっている。雨の多いところらしい。まるで沢登りをしているような道もあった。石が配置してあるから常に水が流れているのだろうか。
スイス人のおじいさんと追い越したり越されたりで何度か出会った。「年老いた木を見てごらん、美しいね、希望だよ、我々の」 若い木の美しさをもうとうに失ったとはいえ(我々の)とくくられた時の一拍の微妙な気持ち。しかし 美しい老木になりたい!
古い田舎屋のレストランで又出会ったので一緒に食事をした。本が好きらしい。カミーノに関する本は、ハーペ・ケルケリングのものとカルメン・ロールバッハの物があるが後者のほうが良いと教えてくれた。前者のは芸能人の書いたベストセラーで、この本のせいでドイツ人がわんさと来ているらしい。私が読んだパウロ・コレーリョやシャリー・マックレーンの物は読んでいなかった。
自死をした私の娘の父親はスイス人だった。いつも彼とスイス中を回ってこんな風に見知らぬレストランに入り食事をしたものだった。彼が生きていたら一緒に歩いているかも。彼との時間は美しいスイスの自然と重なった思い出となっている。我が青春。
牛が庭に居るようなこんな田舎屋でも、どんなけちなアルベルゲでも、キッチンの設備は電気の一枚板のレンジがついた最新式だ。横浜の我が家のガステーブルはクラシックだ。
次の小さな村、フェレイロスのアルベルゲはとてもシンプル。受付のおばさんが粗野な感じ。高校生の十二三人のグループが又一緒。おしゃべりがうるさい。夕べはブラジル人のおじさんが夜中に堪忍袋の尾が切れたみたいで注意をしていたが。
最後の百キロ地点から歩く人たちが増えてくる。高校生は授業の一環として歩くらしい。先生は付いていない。歩き初めで興奮しているんだろう。今日『サンティアゴまで百キロ』の道標石を見た。よくここまで来れたものだ。本当に。なんでもない普通の道標だった。
目の前を何頭かの牛が棒を持ったおばさんに追い立てられて移動していた。
今までバスやタクシーに乗った距離を計算してみた。百三十八キロ。良かった、なんとか許せる。
『サンジャックへの道」というフランス映画があった。軽い喜劇風だったけどそこでこの美しい道を見たから私は、さあ、行こう!と云う気になった。『道」が私を呼んでいた。その中でイスラム教徒がメッカへの道と間違って一緒に歩いてしまうエピソードがあるのだがイスラムとの対立関係はヨーロッパにとってひどく根の深い問題であると、映画を観ている時は分かっていなかった。
その映画と日本人の作ったTV報道とが夕食の時話題になった。デンマーク人と、イギリス人と、スペイン人と同じテーブル。日本のフィルムはかなり美しかったらしい。俳句を作る女の人がいて作りながらこの道を歩いているというもの。俳句も美しかったとイギリス人が言っていた。
この旅に出てきてから俳句が作れないことに気がついた。その言語脳が働かない。外国語を話すのに精一杯だからか?日本での生活のことほとんどすっかり忘れ果て真っ白になっているところもある。脳をひっくり返すようにしないと思い出せなかったりして。
歩いているうちに頭が空っぽになってくると云う感じもある。