抗 ガ ン 剤

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 その後、父は月に1度、抗ガン剤を肝動脈に注入することになりました。月に1度、母と左近山へ来ると、翌日がんセンターへ行き、小さなほ乳瓶の様な容器に入った抗ガン剤を肝臓のリサーバーに取り付けて貰うのです。1週間かけて抗ガン剤を肝動脈に注入し、1週間後またがんセンターで外して貰い、その翌日夫婦で木更津へ帰って行くのです。

 手術が終わって数ヶ月間の父は、検査の数値も安定しており、がんには罹ったもの、自分が幸運にもがんから生還出来たと思い込んでいました。拭いきれない不安はあるものの、木更津の病院に入院した頃に比べると気分的にはかなり楽になっていたようです。肝臓は、9割が悪くても、残りの1割が正常に機能していれば、GOT、GPTといった肝機能チェックする数値は上がってきませんので、父の肝機能の数値は正常値でした。(それは、C型肝炎のキャリアの母の数値より良いくらいでした)また、腫瘍マーカCEAの数値も正常値内でした。便通に乱れはあったものの大腸のがんをすっかり取ったので、父に取って一番辛かった便の通りがよくなり、食欲も戻ました。CT検査結果で肝臓の残っているがんが映像に現れなかったこともありました。(それは、後で分かったところによると、CTで、胴体の断層撮影をする時、毎回同じ位置でのスキャンが出来る訳ではないので、がんがスキャンする位置の間に入ってしまって検出されないこともあるためだそうです)母だけでなくわたしまでも、もしかしたら抗ガン剤が効いてこのまま快方に向かうのではないかと思った時期でもありました。テレビで放映された新米女医の危なっかしさを薬師丸ひろ子が演じた「病院へ行こう」を家族で笑いながら見ることが出来たのもこの時期でした。

 小康を得ていたこの頃、父に取って辛かったのは、月に1度の抗ガン剤の治療でした。普段は以前と同じ体調に戻っているのに、抗ガン剤治療の1週間とその後、抗ガン剤の影響が残っている2〜3日は、憂鬱そうに寝ている毎日でした。実際に、自分で体験した訳ではないので、その辛さは分かりませんが、やはり、抗ガン剤を注入し始めると、食欲がなくなり、吐き気や不快感で、かなり憂鬱になるようです。気分が沈んで、時間があっても何もする気にならない様子です。

 在職中は仕事上の係わりがあったみなとみらい21地区。係留保存されている初代日本丸(父が学生の頃、練習船として乗り込んでいた)や日本一のランドマークタワーに父は行きたいといいながら、とうとう行かずしまいでした。結局、抗ガン剤を注入している間は、体調が悪く出かける気にならなかったようです。

 抗ガン剤は辛い治療でしたが、それでも数値が悪くなるまでは、希望を持たせてくれる治療でした。

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平成11年8月1日  ペ−ジ制作:たぬ