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ミルクティ
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わたしは片づけものが終わると、父に話しかけている母を残し、一時、夫と夕飯の買い物に出かけたが、戻ると夕食は、夫と義母に任せ、また、父の部屋へ、父はと言えば、目を見開き、口を開け呼吸している。しゃべるでもなければ、何も食べない、何も飲まない。トイレの要求もない。病院へ帰る予定は明後日だが、明日帰した方がいいのではないかと母と話し合う。夕飯の鰻が差し入れられるが。もちろん父は口に持っていっても食べない。母とわたしの食事が終わる頃、父の呼吸が荒くなる。
母が布団に寝かせたいというので、布団を敷き、夫に父を寝かせてもらう。母が父の手のひらをマッサージし始める。8時頃、病院に電話をし、息が荒いこと、明日帰したいということを伝える。危なくなると手の爪の色が土色になるので、そうしたら救急車を呼ぶように言われる。父の爪の色を見ると、少し白っぽいがほんのりピンク色なので、安心して電話を切る。母が血圧計を付けるが、脈が弱いのか、測れない。母はずっと左手をマッサージしている。夫もときどき見に来てくれる。母が1時間ほどマッサージを続けると、血圧計では測れないが、手で探る脈が触れるようになり、荒い息もが治まってきた。やはり手のツボが効くのかとわたしも右の手のひらをマッサージし始めた。9時半再度様子を病院に伝える。父の様態がだいぶ落ち着いてきたので、わたしも母も一安心し、“午後の紅茶”のミルクティを飲む。今日1日何も飲まない、何も食べない父だったので、父の口の左側から、試しに、ミルクティをそっと入れると、喉が動いてミルクティを飲む。もう少し入れるとまた、飲み込む。母もわたしも、嬉しくなって手を取り合って喜んだ。母が、父が朝からモルヒネを飲んでいないので、
「お父さん、痛くなっては可哀想だから」
と言って、モルヒネを出し、父が飲み易い用にお茶碗の中でスプーンで砕き始める。わたしは、ミルクティを持って待っている。と、父の呼吸がちょっと止まる
「あれ?」
と言う感じである。止まったら胸を叩くようにという青木さんの言葉を思い出し、とんとんと叩くと、父の呼吸は再開した。が、またしばらくすると呼吸が止まる。胸をとんとん。呼吸が再開する。・・・止まる。とんとん。再開。だんだん呼吸が止まるまでの時間が短くなってきて、最後に止まったままになってしまう。しかし、呼吸をしていないけれど、爪の色もピンクで、顔の表情も変わらない。異様な事態だと言うことは分かるが父が死んでしまったとは全く思えないかった。夫を呼ぶとすぐ救急車を呼ぶようにいい、人工呼吸を始めてくれた。わたしは急いで119番に電話をし、一時帰宅している父の容態が急変したことを告げた。そして、住所聞かれた。
「○○○の3丁目・・・。」
「○○○ですか?」
「そうです。○○○の3丁目・・・。」
「○○○ですか?」
なかなか通じない。
「○○○東ではないですか?」
「そうです!そうです!○○○東です!」
わたしは気が動転して、住所の東を抜いてしまっていたのだ。救急車はすぐ来てくれることになった。夫は引き続きマウストゥマウスの人工呼吸をしてくれていた。夫が息を吹き込むと父の胸が大きく上下した。ただならぬ様子ではあったが、わたしにも母にも父の死の実感はまるでなかった。TVドラマによくある様な、母娘が、ワッ!と声を上げて父にすがりつくこともなければ、「お父さん!お父さん!」と呼びかけることもなかった。ただ訳がわからず、父に呼びかけることも忘れて、膨らむ胸を見つめていた。5分たったか、10分たったか、ようやくサイレンの音が近づいて来て、家の前で止まった。救急隊員が飛び込んできて、父を担架で救急車の中に運び入れた。口から管が差し込まれ、その管から茶色い液が吸引され始めるとわたしは青ざめた、ミルクティが気管を詰まらせてこんなことになってしまったのではないかと思ったのだ。が、その茶色い液体はミルクティどころではなく大量に吸い出されてきた。わたしはこの1日父の身体の中で何か異常なことが急速に起こったことが分かった。2台目の救急車で医師が到着し、父を診察した。その医師は父がもう、事切れていることを告げた。救急隊員から事情を聞かれ、横浜甦生病院に電話をかけてもらうと、横浜甦生病院では病院まで連れてきて下さいとのことだった。わたしと母が救急車に同乗し、父に付き添って病院に向かった。
当直の看護婦さん2人と駆けつけて下さった主治医の小澤先生が病院の玄関前で待っていて下さった。父は元の病室に運ばれ、11時14分、小澤先生によって、死亡を確認された。わたしは、身近な家族の死に直面したのは初めてのことだった。あまりにも突然で、覚悟はしていたが、まだまだ先のこと、もっともっと、看病の苦労をしてからのこだと思っていた。あまりにも突然の父の死に実感のないまま、看護婦さんが父の身体を拭き、着替えさせてくれるのを見つめていた。母が具合が悪いというので、小澤先生が診察して下さった。血圧が200を越えていたが、血圧の薬をもらって飲むと少しは落ち着いた様だった。
「今夜は、この病室で、一緒にお過ごし下さい。明朝献花式をしてから、車を手配しご自宅までお送りします」
小澤先生がそう言って出ていかれた。母とわたしはこれまでの泊まり込みのために病室に用意してあった、洗面道具で顔を洗い、パジャマに着替えて、2人、病室の付き添い用のベッドで横になった。母は具合が悪いせいか、疲れ切って言葉少なだった。
夜中、わたしは何度も目が覚め、父のことを思い出しては、涙が出た。ハイキングコースの散歩も父が行きたかったのではなく、前からわたしが一緒に行きたがっていたから父は無理して
「行く!」
と言ってくれたのではないかと思えてならなかった。さっきまで、出てこなかった涙が、溢れて止まらなかった。
「まだ、始まったばかりだったのに・・・。
これからわたしが看病してあげなければならなかったのに・・・!」
そんな思いの中、病室の最後の一夜は過ぎていった。
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平成9年10月5日 ペ−ジ制作:たぬ