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付き添い
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8本目の角を左へ入って突き当たりが我が家だ。タクシーが止まると、玄関から義母が顔を出し、奥の西側の部屋で待っている母に声をかけてくれた。
「お母さぁ〜ん!お父さんが着きましたよ〜!」
母が、西側の玄関から飛び出してきた。義母と母と私。我が家の女3人がタクシーの廻りを囲んだ。折り畳みの車椅子に父を乗せるため、夫の姿を探すと、夫は母に頼まれ大人用の紙おむつを買いに行っていると言うことだった。痩せたとは云えまだまだ重い父を私はうまく車椅子に乗せられない。それを見て取ると、一番華奢な体つきの青木さんが、
「えぃ!」
気合いと共に父を正面に抱え、車椅子に座らせた。プロの気迫を見たような気がした。父の乗った車椅子を運転手さんと青木さんが段差のある門口から玄関へ運び上げてくれた。廊下は幸いかろうじて車椅子が通れる幅だったので、そのまま西側の父の部屋まで、わたしが車椅子を押していった。入院前に父が頼んでいたという通販の折り畳みの寝椅子が届いていたので、布団はやめにして寝椅子を広げて父を座らせた。タクシーの運転手さんに支払いを済ませ、お礼を言って戻ってくると、父の顔に少し変化が現れていた。
「トイレに行く!」
父の目がはっきりしている。家に帰って来たのがはっきりと理解できている目だった。
「トイレへ行くの?」
「ああ。トイレ」
父は、寝椅子の肘掛けを握って立ち上がろうとする。一人では立ち上がれない。私はさっき青木さんがやった様に正面から父を抱えて立ち上がらせた。痩せているが、自分で自分が支えられない父の身体は異様に重い。私はヨロヨロとしながら父を抱えた。母と青木さんが後ろからも支えてくれる。しかし重い。痩せ細った父なのに、自分の力で立ち上がれない人間とはこんなに重い物なのか!部屋を出てすぐのトイレへ、皆で父を支えながら行き、狭いトイレの中では私に支えながら父は用を足した。水を自分で流して、貯水タンクの蛇口で手を洗うと、足の力が抜けて、父はタンクに取りすがり、タンクがガタガタと外れそうになった。
「お父さん!そこ持っちゃだめでしょ!」
私は改めて、父を抱え直し、2人抱き合いながら、ヨタヨタとトイレから出た。この時、私はこれからの看護の大変さを漠然と感じた。そこへ大きな大人用のオムツの袋を抱えた夫が戻ってきて、私に変わって、父を寝椅子まで連れて行ってくれた。昼食に頼んだお寿司が届き、父の意識が意外とはっきりしているので、父は母に任せ、私は、義母の部屋で青木さんとお寿司を食べた。
「具合が悪くなったらすぐ電話をして」
と青木さんはいくつかの電話番号のメモを渡してくれた。
「呼吸が止まっても、胸をたたくと戻るから」
など、アドバイスをもらっていると、母が嬉しそうに、父がこんなにお寿司を食べたと3つほど減った寿司桶を見せに来た。今朝は何も食べなかった父がマグロとエビと玉子のお寿司を食べたそうだった。
「手づかみで美味しそうに食べたんですよ!」
「そう、良かったですね。小原さんお家に帰って安心して食欲が出たのね」
父がたった3このお寿司を食べることが、今のわたしたちにとってはしあわせだった。ガンとはそう言う病気なのだと思う。病気と言う棘の刺さった暮らしの中、日常の何気ないことにも幸せを見いだせるようになる。でも、なんて、セツナイ幸せなんだろう!
夫が青木さんを駅まで送っていった。その日、わたしは母と西側の部屋で父に付き添った。夕食は、夫と義母が用意してくれたので、母と一緒にずっと父のそばにいた。
「お父さん、明日は車椅子で、裏の山道を散歩に行こうね」
家は山を切り開いた住宅地にあり、山の尾根伝いには、金沢文庫から鎌倉まで続く散策道がある。健康人には丁度良い散歩道だが、入院前の父は、そこまで歩いて行くのが辛く、かといって、自分の具合が悪いことを認めることになるので、車椅子には乗りたがらなかった。帰宅と昼食の興奮が過ぎ去ると、父は落ち着いて、寝椅子の上でまどろんでいるようだった。こういう事態なので、わたしは夜も西側の父の部屋に寝ることになった。
トイレの世話が大変だった。起きている間は夫に頼んだが、寝る段になって、夫の買ってきたオムツを付け、ベッドで座って用を足してもらうことにした。朦朧とした父は事情が分かっているのかどうか分からなかったが、トイレに行きたい様だとわたしは父を抱き起こし寝椅子の前部を引っ込めて椅子のようにして、
「トントン」
何かの操作で椅子にトイレを付けたようなふりをして、
「トントン、はい、お父さん、トイレを付けたよ」
と背中を叩いて、父を促すのだった。
1時、3時、5時、6時にわたしはトイレに起こされた。その度に父を抱き起こし、トントン言って、父のベッドを簡易トイレにするふりをした。
「わたし、何やってるんだろう?」
父が何を考えているのかが分からなかった、ぼーっとしていて、ベッドがホントにトイレになったと思っていたかもしれない。あるいは、父はわたしがトイレまで連れていけないからオムツで用を足してくれと言うのが分かっていたかもしれない。そうだとしたら、わたしが「トントン」と云う言葉をどの様に聞いていたのだろう。
どうして良いか分からないまま、わたしは、6時のトイレまでトントンと言って父の要求に応じた。用を足し終えた父を寝かせると、オムツを代えた。前日の点滴の水分がたっぷり出たのだろうか、毎回、尿パットがたっぷり湿っていた。たっぷり湿った尿パットは父の生をわたしに実感させてくれて、嬉しかった。
「コワイ」
夜中に突然父が言う。どうも女の人が来ると言っているらしい。2ヶ月前父の姉が亡くなっているので、スワお迎えか?とも思ったが自分の姉を怖がるのも変なので、
「お父さん、わたしが付いているから大丈夫よ。
「ああ、ああ、」
父は右手と首を振る。
「お父さん、大丈夫よ!すみません、用はないので、向こうへ行ってください。
ほら向こうへ言っちゃたでしょ。」
「ああ」
「また来たら、わたしが帰ってもらうように言うから大丈夫よ」
自分には見えない幻覚。でも父の脳には見えているのだ。人間の脳の不思議なのか、この世とあの世の狭間がその部屋にはあった。
これまでの病院泊まり込みの看病で疲れ切っている母に、せめてわたしいる時ぐらいはゆっくり寝かせてやりたかったが、トイレの度にごそごそしているとその度に、母が目を覚まして、手伝おうとした。
「わたし一人で大丈夫だから、お母さんは寝ててね!」
「悪いねぇ」
「うん大丈夫だから」
こんな問答が毎回繰り返された。
6時のトイレを済ませるとさすがのわたしも、ぐったりとして、これからの看病の重さを考えずにはいられなかった。病院に戻れば、看護婦さんもいるから・・・と横になると、今度はそのまま、10時まで熟睡してしまった。
10時頃、わたしは、部屋に入ってきた夫に起こされた。わたしもそうだが、夫もこの日、父のために会社を休んでくれたのだった。
「あんまり、起きて来ないんで3人ともどうなっちゃたかと思ったよ」
「朝の6時まで、トイレが大変だったんだもん」
わたしは言い訳しながら、父のオムツが気になった、さいわい、点滴のエキスは6時までに出きってしまったようで、オムツはよごれていなかった。わたしと母のふとんを片づけ、父の寝椅子の背を起こした。
お昼に、夫が冷やし中華を作って持ってきてくれたので、父の口に、ハムとキュウリを入れてみるが吐き出してしまう。意識もほとんど朦朧としているようだった。その様子に散歩は無理かと思うが、夫が、
「お父さんに聞いてみたら?」
というので、念のため、
「お父さん、お散歩、行く?」
と尋ねてみると、予想に反して
「行く!」
と父は、いやにはっきりした声で答えた。今日は一日中「うん」とか「ああ」しか言わなかったで驚くが、嬉しくなって、母と、夫と3人がかりで着替えさせ、例のパンダ帽子をかぶり1時頃から、裏山のハイキングコースへと出かける。出がけに留守番役の義母が
「お父さん良かったですね!」
と見送りながら声をかけると父は本当に嬉しそうな顔をしていた。と後になって義母から聞かされた。
父の首がすわらないので、夫が車椅子を後ろに倒し、自分の胸に父の頭を寄りかからせてゆっくりハイキングコースの入り口まで車椅子を押して行った。父はと言えば、口を開き、目をむいて、端から見れば、尋常な様子ではないのだが、父の外泊のメインイベントとわたしたちは、肩に力の入った様子でハイキングコースに向かった。コースの入り口は車が通れないように互い違いの柵になっていて、車椅子がは通れなかった。何かの工事か、トラックが止まっていて、作業員が何人か居るので、わたしたちは中には入らずそこで止まった、木陰に金沢文庫の夏の臭いがした。そこで、みんなで持ってきたヤクルトを飲んだ。父は飲んでいるのかこぼしているのか分からなかったが、1/3ほど飲んだところで、蚊が集まってきた。
「これは、凄いな」
と夫。
「お父さん刺されたら可哀想」
と母。
「写真を撮って帰ろうか」
とわたし。
「ここまで来れば、お義父さんも満足でしょう」
ということで少し花の時期を過ぎたアジサイの前で記念撮影をし、
またゆっくり、山道を帰った。
帰るとまた寝間着に着替えさせ、寝椅子に座らせた。母は、泥だらけになった車椅子を拭いたり、片づけ物に追われているので、
「せっかくお父さんが帰ってきたのだから、もっとそばにいてあげなよ」
といって、わたしが代わった。母は父の傍らへ行って、父の耳元で囁き始めた。
「お父さん、病気が治ったらフルムーンに行こうね。
まだ東北と日本海側に行っていないから、仙台に行こうね、金沢にも行こうね」
父はボーっとしていたが嬉しそうに笑っていた。意識がはっきりしていたら、きっと
「そんなところ行けるはずがないだろう!」
と怒りだしたろうに、ぼーっとしている今は、できるはずもないことでも、優しく話しかける母の声に嬉しそうに反応していた。ここまでくると、もう、治る治らないの問題ではなくて、父がちょっとでも幸せを感じてくれればいいと思うわたしたちだった。父の嬉しそうな顔を見て、母も穏やかに笑いながら、父に囁き続けていた。
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平成9年10月5日 ペ−ジ制作:たぬ