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月 光
SP盤マークハンブルグの月光の想い出です。
SP盤=第3楽章のさわり=をお聴きになりたい方はこちらをクリックしてください
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蓄音機の名器クレデンザで 月光奏鳴曲−嬰ハ短調−其の参 を聴く。(ソーン針=サボテン針=使用)
ムーンライトソナタ = ベートーベン作曲 作品27の2 1801年 マークハンブルグ演奏 1930年代 =
(著作権について:通常の著作権は著作者の没後50年・レコード著作権は原盤の作成から50年)
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★・★・★・金曜日・夜
「ボン、ボン、ボン……。」
柱時計が小刻みに鳴って、わたしと夫は夜がかなり更けてきたことに
気が付いた。
「もう、11時ね。」
わたしが促すと夫はアンプの音量を下げに立ち上がった。
わたしは、音の漏れが少なくなるようにと、雨戸を締めに窓に近づいた。
崖の上の我家から、今日は南西の中空に月が皓々と輝いているのが見えた。
「ねえ、きれいな月。」
夫もボリュームを下げると、わたしのそばに来て月を見上げた。
「きれいだね。」
「ねえ、ガーさんは月光のCD持ってる?
わたし、子供の頃、月光が好きだったのよ…。」
「持ってないけど、
お義父さんにもらったSP盤はあるけれど1枚目は割れてるし…。」
「わたし、ガーさんと結婚する前は、バイオリンよりピアノ曲の方が
好きだったのよ。
「ふぅ〜ん。じゃぁたぬちのLPにはないの?」
「ショパンはあるけれど、月光はないの。
あんなに好きだったのに…。
こどもの頃だったから、持ってないのよ。
月光を聴くと思い出す光景があるのよ、心象風景っていうのかな…、
木枠の格子の窓が外に開いているの、
向こう側には皓々と月が輝いていて、時折、黒い雲が横切るのね。
道は、月に照らされて小石まで見えるけれど、木立は黒々としているの。
そして、風がレースのカーテンを揺すっているの。
部屋に差し込む月の光が、ゾクゾクするほど寂しい光景なの。」
「ふぅ〜ん。
それなら、明日、買ってこようよ。」
「うん。」
★・★・★・土曜日・夜
翌日の土曜日、わたしたちは、上大岡のデパートへCDを買いに行った、
ジャズやらサンダーバードのテーマ曲やらと一緒にルービンシュタインの
月光を買ってきた。
午後から出かけたので、帰宅時間が遅くなり、結局、夕飯はデパ−トの
地下のお弁当と、サラダとお味噌汁にしてしまった。
休みくらいちゃんと食事を作らなければいけないのに、また悪い嫁をやって
しまった。が、お義母さんは
「まぁ!かわいいお弁当!」
と言って、小さな変わりおむすびのお弁当を喜んで食べてくれた。
食事が終わると、(お弁当だったので、片づけも簡単!)お義母さんに
「おやすみなさい」
と言って、わたしたちは2階へ上がった。
その夜も、さえざえとした月夜だった。
リビングの明かりを消して、カーテンを開け放ち、冬の寒空に浮かぶ月に
敬意を表しながら、
ルービンシュタインの月光を聴いた。
中空の夜空に浮かぶ月に負けぬ、美しいピアノの調べだった。
心に染み込む月光だった。
ただ…、ただ…、わたしの中の月光とは、何かが違った。
「バイオリンじゃないから、もうちょっと、音が硬い方がいいんじゃない?
ガーのアンプで、調節できないの?ケルンコンサートの時みたいに」
夫がアンプをいじる度に、
好きなキース・ジャレットのケルンコンサートの音色が変わったのを
思い出してわたしが言うと、
「だめ!これが一番いい状態なの!」
夫は自分の手作りアンプに対して、素人のわたしがとやかく言うことには、
ムキになって反論する。
「イコライザーとかを付けるとできるの?」
「できないの!イコライザーは音域ごとの音量を調節するもので、
音色を変えるものではないからできないの」
「でも、昔聴いたのと違うんだもん!
もっとパキッとした硬い音色だったみたい」
「アンプの問題じゃないと思うよ。
う〜ん。ルービンシュタインはうまいと思うけれどなぁ、
これは1962年の録音だから、おじいさんの演奏なんで柔らかく感じるの
かな?
うまい人のもっと若い時の方が、たぬちには好みなんでしょ。」
「ルービンシュタインってそんなに古い人なの」
「ロールピアノの時代の人だからねぇ…。」
「父のSP盤はどんなのだった?」
「1枚目は割れているのでかけたことないけれど、
2枚目は聴くことができるよ。」
「聴こう!聴こう!」
「仕舞ってあるんで、今は無理だけど、明日クレデンザで聴いて見ようよ」
★・★・★・日曜日・午後
翌日は昼食の後、町内会の集まりがあって、家に戻ってくると、
夫が2階の窓から呼んでいるのが聞こえた。
「たぬち!月光あったよ!」
「ほんと!、聴きたい!」
早速、二階へ駆け上がる。
「マークハンブルクのだよ、この人もかなりうまい人だけれど、
盤がかなり痛んでいるんで、途中でかからなくなるかもしれないけれど…」
と言って、蓄音機のゼンマイを巻き、夫は父の遺品のSP盤にサボテン針を
落とした。
SP盤=月光第3楽章のさわり=をお聴きになりたい方はこちらをクリックしてください
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ズ〜〜ッ、ズ〜〜ッ、ズ〜〜ッ……。
大きな針音に混じりに2楽章から始まったその月光はわたしの心の鍵穴に
ピタッとはまった。
「これよ!これよ!」
サボテン針が回転と共にすり減って、音が甘くぼけてくるのだが、
わたしには心地よい懐かしい心象風景の月光だった。
メリハリのある、感情をため込んだ月光だった。
「SP盤の時代は、楽譜に弾き方を書かなかったから、
演奏者は自分流に演奏するんで、人によってずいぶん変わるねぇ。」
表面が終わると、夫は裏面に針を落とした。
裏面が終わり、夫はサウンドボックスをレコードから上げた
「懐かしいなぁ…。
わたしは、こどもの頃、月光が好きだったけれど、
たぶん、父のこのレコードを聴いていたんだと思うけれど、
その頃はこどもだったんで、父に月光が好きだって言えなかった。
父が持っている月光が、好きって言うことを思いつかなかった。
今だった言えるのに…。
気が付いた時には父はいないのね。」
わたしの父は2年前ガンで亡くなった。
「父と音楽の話なんかしたことなかったけれど、
もし、話していたら、また違った父娘の繋がりができたかもしれない。」
わたしは妙にしんみりした心持ちで、静かに話を聞いてくれている夫の顔を
見た。
「ねぇ、ガーさんはガーさんのお父さんに何か話しておきたかったと
思うことはない?」
2年前まで、話そうと思えば、わたしにはたっぷり時間はあったのだ。
恵まれた父娘の感傷なのだ。
夫は少年の頃に父親を亡くしている。感傷に浸る記憶はないのだ。
「ないよ。」
父親不在に慣れてしまっている様にぶっきらぼうに言った言葉の裏に、
父と息子のコミュニケーションの真空の痛みをわたしは感じた様な
気がした。
夫は立ち上がって、蓄音機に近づいた
「もう一回かける?それとも、お義父さんの他のレコードをかけてみる?
僕はたぬちよりお義父さんと会ってからの時間は短いけれど、
お義父さんに貰ったSP盤を見るとお義父さんが若い頃、
レコードが好きで何度も何度も丁寧に聴いていたのがよく分かるよ。
なんだか不思議な気がするよ」
夫の言っている「おとうさん」と言う言葉がわたしの父のことを
指しているので、わたしは目が熱くなった。
★・★・★・月曜日・夜
翌日は、わたしの母の部屋への訪問日だった。
仕事から帰って、夫とお義母さんと3人で食事をした後、毎週月曜日の夜は
夫と、隣の母の部屋に行って小一時間おしゃべりをしてくるのだ。
壁一枚隔ての隣に暮らしていても、なかなか、わたしたちと話す機会のない
母を気遣って夫が提案してくれたのだ。
今日の話題は昨日聴いた月光の話だった。
「お父さんのSP盤の月光、2枚目なんだけれど聴いたら、
すごく懐かしかった。
お父さんが初めて買ったステレオって、SP盤もかかったよね。
その時、月光を聴いていたような気がするんだけれど」
「お父さんは、月光が好きだったんじゃないの」
母の言葉に、今度は鍵が回るような気がした。
わたしが月光が好きなのは、父が好きでよく聴いていたからだったのだ。
「ステレオを買う前は、ポータブルのプレーヤで、かけていたでしょ。
結婚した頃は、ポータブルもないから、レコード持って下田の温泉ホテルの
電蓄を借りて聴いていたよ」
★・★・★・月曜日・夢
その夜、わたしは夢を見た。
父が木更津から帰って来たのだ。
会えると思っても見なかった父が急に帰って来た。
夢の中なので、父は生きていた。が、ガンでもう余命幾ばくもないことも
判っていた。
わたしは娘として何んとかしなければならなかった。
まず、月光の事を伝えなければと思った。
「お父さん!昨日、蓄音機で月光の2枚目を聴いたんだよ!
とってもよかったよ」
病のせいで、痩せて少し前屈みしている父はうんうんとうなずいた。
「お父さんも月光が好きだったんでしょ。
お母さんが言ってたよ」
「うん、昔、温泉ホテルの窓から月を見ながら聴いたもんだ。
レースのカーテンが風でひらひらしていなぁ」
父はわたしの心象風景を語った。
最期までに父と月光の話ができてわたしはうれしくなった。
「今日は、ご馳走を作るからみんなでパーティをしようよ!
2枚目しかないけれど月光を蓄音機で聴こうよ。
その後は、お父さんの好きだった他のレコードもみんな聴こうよ!
お父さん!久しぶりにビールも飲まない!」
その時、玄関でチャイムが鳴った。
昼間なのに、やけに早く夫が帰ってきた。
「ちょうどよかった!お義父さんもいらしていたんですね。」
夫は父にそう言いいながらコートを脱ぐと、
わたしにSP盤専門店の薄緑の重い袋を差出た。
「マークハンブルクの月光の1枚目が見つかりました。
今日はみんなで月を見ながら月光を聴きましょう」
ズ〜〜ッ、ズ〜〜ッ、ズ〜〜ッ……。
大きな針音の中で、鍵の開いたわたしの扉が開きはじめた。
(こんな訳で…。
Victor JB−39−A/B 月光奏鳴曲−嬰ハ短調−其の壱,弐
を探しています。お手元にございましたら是非譲ってください。)
e-mail : mixseeds@seaple.icc.ne.jp
平成9年5月吉日 ペ−ジ制作:たぬ