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SP盤の楽しみ
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エジソンが錫箔に録音する方法を発明してから既に約120年が経過しています。その間に、録音技術は世界の録音芸術に対する欲求に駆られ、飛躍的な発展を遂げ、現在では録音音楽は実生活に入り込んでいます。
確かに音を聞くことに関しては、昔に較べ便利にはなったと思います。例えば有名なメンゲルベルク指揮のチャイコフスキーの『悲愴』は、1937年版はもちろん、希少な1940年版までSP盤からCDにまで焼直されています。実際にこれを聞こうとするときには、SP盤ではぜんまいのハンドルを回し、5枚組の10面を掛け替え、レコード盤を痛めないためには10本もの鉄針を替える努力が必要でした。それが10インチLPの2枚組4面となり、12インチLPで1枚2面、最近のCDではおまけに小曲が付き1枚片面で掛け替えは不要となり、車や電車の中でいつでも気軽に聞くことができるようになりました。しかし私は音楽の内容を聞こう思うときは、苦労はあっても蓄音機で聞く旧いTelefunkenのSP盤がメンゲルベルクのこころを一番伝えてくれるような気がしています。
蓄音機とはシェラック(ラック貝殻虫の分泌物)を主成分とする混合物でてきたSP盤( 1890頃〜1960頃)専用の再生装置で、盤をぜんまいモーターで78〜82回/分で回し、音溝を鉄や竹でてきた針でトレースしてサウンドボックスとよばれる振動板を振動させ、ホーン(らっぱ)を用い大きな音を得る機械で、電気は使っていません。15年程前、偶然聞いた蓄音機の音は、雑音はありましたが思っていたよりずっと良いもので、生き生きとした実在感に感銘をうけ、それまでは音楽ではなく音を聞いていた自分に気が付きました。ちょうどその頃コンサート演奏でも、演奏者の楽曲に対する解釈の違いにふれ、今は亡き古の名人さらには作曲者の自作自演に興味を持つようになり、それが高じて大きな蓄音機を小さな部屋に押し込んで旧い音楽を聞くようになってしまいました。
実は蓄音機で音楽を聞くまでにはかなり苦労しました。新しいものでも50年は経っているので、修理は絶対に必要です。特にアームやぜんまいモーターなどの可動部は磨り減っており、交換部品がないので自分で作り直しました。また針も良い物は高価で手がでないので、硬質の竹を探し自作したり、タングステンで作り堅すぎて盤を痛めてしまったりしましたが、いろいろ試みた結果現在は主にソーン針(柱サボテンの棘)を自分で削り使っています。 主役のSP盤の方は、専門的に扱っている店もあるほどで、私が聞きたいと思う有名な名演奏は数多くプレスされており、骨董品や稀覯品としての価値とは縁がないので意外に入手は楽でした。SP盤も後期はマイクロフォンを使った電気録音になりましたが、私は旧吹込み(空気吹込み)と呼ばれるラッパの口からガラスやマイカの振動板で直接ワックス盤にカットした初期の録音の方が好きです。旧吹込みでも歌やヴァイオリンソロでは、再生音域やダイナミックレンジの狭さが気にならないどころか、私は電気吹込み以上に実際の肉声に近い親しさや雰囲気を感じます。
SP盤を聞いているうちに、作曲者が自作自演している録音に興味が出てきました。作者はどのようにその曲を考えたかの一端が見える感じがして楽しい気がします。サラサーテが途中で何かを呟いていることで有名な自作の『チゴイネルワイゼン』を含む1904年61歳のときの録音、ラベルが指揮をしている重厚なハーモニーの中にジャズの即興性を感じさせる『ボレロ』、ベルディが彼のために『オテロ』をテノールパートに書いたタマニョの1903年のオテロの録音、オネゲルが指揮している自作の『パシフィック231』などを聞いて新鮮な感動がありました。これからも雑音の中に埋もれてはいてもオリジナリティーの高い音楽を聞くことで、音故知新を続けたいと思っています。
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e-mail : mixseeds@seaple.icc.ne.jp
平成10年3月1日 ペ−ジ制作:が−