−歴史・伝説・民話を歩く−![]() 楠山 永雄 著 2003年2月28日入力 |
| NO.59 | いれずみ大臣 |
| ◇ 常福寺の門前に関所 | ||||
金沢文庫文書の中に、称名寺の修理費に充てるため常福寺の門前に関所を設け、通行料を徴収したという幾つかの記録がある。それには、永享4年(1432)に足利持氏から称名寺宛てに、六浦大道の関料を3年間寄付することを伝えたものや、通行料は人が2文、荷駄は3文というものもある。 この関所は、江戸時代に「入り鉄砲と出女」を取締まった監視目的の関所とは違い、荒廃した称名寺の修理費をかせぐのが目的であった。 |
| ◇ 金沢が生んだ政治家・小泉又次郎 | ||||
又次郎少年は、時たま父に連れられて横須賀造船所に行き、りりしい海軍士官の姿にあこがれていた。成長した或る年のこと、家に無断で海軍士官学校の予備校に入学するが、兄が病死したため、家業の小泉組を継ぐ立場となり家に連れ戻される。だが、又次郎は再び上京し今度は陸軍士官学校の予備校に入学。またも父に見つかり「何としても家業を継げ!」と厳命された。 ところで、又次郎が全身に「昇り龍のいれずみ」を彫っていた話は有名だが、それは軍人への夢を諦め、トビの道に生きることを父に示した行為といわれる。 当時は、薩長が実権を握っていた「藩閥政治」の時代。これに対し民主的立憲国家を目指す自由民権運動が全国的に盛り上がりを見せていた。ある時、民権派の旗手・板垣退助の演説を聞いて、又次郎の血は熱く燃えあがった。やがて政治家を志し、新聞記者や神奈川県議を経て、明
この間、憲政会幹事長や衆議院議員副議長、浜口・若槻内閣の逓信大臣等を歴任し、昭和9年には横須賀市長に就任した。昭和26年9月24日逝去、享年87歳であった。 小泉又次郎は、「民政党殿任誉普徳大居士」の法名で、養嗣・小泉純也(元国務大臣)と共に宝樹院に葬られている。孫の小泉純一郎は、現職の内閣総理大臣。あの迫力ある気概は、トビ職の血を引いていると見る人が少なくない。 |