−歴史・伝説・民話を歩く−

楠山永雄 著

’98年6月13日入力
’98年9月23日更新

   NO.6  「夏島と明治憲法」 



◇ 極秘に夏島で起草          
 明治22年 2月11日、明治憲法が発布された。その草案は伊藤博文が中心となり、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎らの協力を得て夏島で起草した。このため夏島憲法とも呼ばれる。
 夏島で草案起草の審議をしたのは、明治20年 6月 4日頃から 9月初旬までの 3ケ月余。この間、伊藤公は一週間ほど滞在することもあったが、普通は 2〜 3日で帰京していたという。
 当時、伊藤公の政敵やマスコミは、憲法の内容に異常な神経をとがらせ、その案文を事前に入手しようと躍起になっていた。このため、伊藤公としては憲法が発布されるまで、絶対に機密を守らねばならなかった。起草地に孤島の夏島が選ばれた理由はここにあった。
 ただ、夏島の別荘は部屋数も少なく全員が宿泊するには狭かったこともあって、料理旅館"東屋"が事務所のように使われていた。別荘には伊藤公だけが寝起きし、伊東・金子は東屋から、井上は野島館から小舟で通っていた。















◇ 盗まれた草案入りの鞄
明治20年 8月 6日夜、東屋に泊まっていた伊東の部屋に泥棒が入り、草案原稿を入れた鞄が盗まれるという事件が起きた。幸に、鞄はすぐ近くの畑で見つかり、百円ほどの現金が抜きとられただけで書類の紛失はなかった。この事件以来、金子と伊東は東屋を引き払い、夏島の伊藤公別荘で合宿することになった。
 歴史的な憲法草案審議が東屋から始まったことを記念して、昭和10年に「憲法草創の処」(金子堅太郎書)の石碑が東屋の裏庭に建てられた。のちに東屋が廃業したとき、横浜市に寄贈されて野島公園に移されたが、近年になって再び東屋にほど近い洲崎町に移建されている。


















◇ 二つの伊藤公別荘         
 野島の松林に囲まれて、茅ぶきの木造家屋が伊藤公の元別荘である。だが、これは憲法草案を審議した建物ではない。たしかに、伊藤公の別荘には違いないが、こちらは後年、伊藤公が金沢の風土や人情を好み別に建てたもの。大正天皇や昭和天皇をはじめ、多数の皇族や政府高官がここを訪れている。別荘の持主は、戦後になって伊藤家近親者から転々としたのち、昭和34年に横浜市の所有になった。
 では、憲法起草の場所となった夏島の別荘はどうなったのだろうか。夏島は、もともと陸軍の砲台建設予定地だったので、別荘はいずれ移転させられる運命にあった。と、言うより既に明治21年 8月には砲台建設は着工していたのである。
 大役を果たした別荘は、伊藤公の父・伊藤重蔵の老後の居宅として小田原城近くに移された。のち、この由緒ある建物は他人の手に渡ったが、関東大震災で焼失してしまったという。




















 映像/写真

   (上)  :伊藤博文公の肖像(絵はがき)
   (上・左):憲法発布(和田香苗筆)
   (上・右):「憲法草創の処」石碑(金子堅太郎書)
   (中)  :伊藤公の野島別荘(絵はがき/大正14年)
   (下)  :夏島の遠景(絵はがき/明治末期)


(c)Copyright by N-Kusuyama,K-Kusuyama. Allrights reserved.