![]() | 横浜市金沢区にある称名寺の仁王門を入ってすぐのケヤキのうろでアオバズクが毎夏、繁殖をしていました。ところが、交通の便がいいこと、ケヤキの葉が明るい緑色なので美しい写真が撮れるなどでカメラマンが殺到するようになりました。鳥を見るのが好きという人たちも双眼鏡や望遠鏡を持ってやってきました。 夜行性の鳥であるアオバズクにとっては昼間は休息の時間です。餌を採ったりするための体力を作るための大事な休息の時間ずっと、入れ替わり立ち替わり何人もの人に見つめられ続ける事になりました。 |
これは、そうした人間のフィーバーぶりがアオバズクの繁殖にどういう影響を与えたかという報告です。
日本野鳥の会神奈川支部が発行している[BINOS」という本に、私が投稿したものを抜粋しました。(なおここで使っている鳥の写真は、大騒ぎが始まる前に撮ったものです。毎日同じ服で出かけ、同じ言葉をかけて挨拶をしました。カメラを担いで行くだけの日々、それから雄の目の前で全く違う方向にカメラを向けてシャッター音を聞かせて危険がないことを知らせる日々。一月余りかけて私とカメラが怖いものではないと覚えてもらってから撮影を始めました。そして、極力短時間という事に留意しました。)
はじめに 1995年4月23日、大風でアオバズクNinox scutulata が営巣していたケヤキ がちょうど巣穴の底の辺りから折れてしまった。営巣木のすぐ近くに住む人の話では1944年に越してきた時には、すでにアオバズクはこのケヤキを使っていた。
私は1989年以来アオバズクの巣立ちを観察してきたが、1991年にストロボ撮影をする人が現れ、1992年からは撮影者や観察者が非常に多くなった。特に1992年は巣の中のヒナに給餌する親鳥や巣の入り口に立つヒナを撮影しようと、夜間に巣穴に向けてストロボをたく人が続出し、ヒナの巣立ちに事故が生じた。私は、このためアオバズクの保護活動を開始した。
冨田(1990)は、ストロボの光で親鳥が餌を取り落とすことがあり、人の影響が無いところでは巣立ちは一日で終わるが人の影響があるところでは巣立てるまでに育ったヒナから順に巣立つため全ての巣立ちが終わるまで日数がかかる、と報告していた。
そこで私は、人がたくさん集まることがアオバズクの巣立ちにどの様な影響を与えるかを知るため19933年と1994年にアオバズクの餌の種類と量の変化を調べた。おもに食べていたものは、阿部他(1979)、飯村(1984)、谷口(1983)等に見られるように大型飛翔昆虫だった。アオバズクは、これらの昆虫の翅、頭等をむしって調理してから食べるので、それらの食痕やペリット等を採集することが出来る。またアオバズクは繁殖に必要な最低限の期間しか営巣木の近くに居なかったので、観察期間は5月後半から7月一杯に限って行った。
なお、行動や顔つき体羽の模様などから1989年から1994年までは同じ番だったと思われる。(食痕というのは食べるときにむしり取って捨てたもの。ペリットとは 食後時間が経ってから、未消化のものを口から吐き出したもので写真のように甲虫類の脚などがバラバラになって落ちているものが多いが、時には固まったものを吐くこともある。)
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横浜市南部の寺の境内に生えている胸高直径57センチのケヤキに開いた、地上約6.4メートルにある樹洞がアオバズクの巣である。約20年前にはかなり木が生えていて鬱蒼としていたそうだが今では20メートルを越えるケヤキが6本、同じ高さのイチョウが2本あるのみでかなり明るい。営巣木の下は砂利が敷かれた広場になっていて誰でも自由に歩くことができる。営巣木の北側に大きな池があり、さらにその北側に本堂がある。本堂の北と西にはアシ原が広がり、そのまわりを市民の森になっている常緑樹落葉樹半々の約15.6haの社寺林が取り囲んでいる。市民の森の外側には住宅がせまっており、住宅地の中にぽつんぽつんと残る緑の島の一つと言える場所である。寺には参拝、観光のための人出がかなりあり、門限が決まっている。この営巣木を中心として寺の境内を調査区域とした。
5月下旬から7月末まで大雨の日以外、アリ類に運び去られる前の早朝に糞・ペリット・食痕を同じ経路で拾い集めた。1993年は5月20日から8月20日までの78日間中に63日、1994年は5月20日から7月27日までの69日間中に63日採集した。
食痕中に含まれる蛾類 、甲虫類 、セミ類についてはそれぞれの翅の枚数を数え,10日毎に1日あたり何枚になるかを調べた 。甲虫類については身体の各部位がどの位の頻度で残っているかを調べた。アオバズクの食痕以外をチェックする目的で,アオバズクが営巣しなくなった1995年も週1〜2回、同様の調査を行った。
横浜の最高気温を記録し、年毎の違いを分かりやすくするため前後2日ずつをあわせた5日間の平均を出し回帰分析による3次の多項式近似曲線を作成した。
結果 1991年から1994年の巣立ちの様子、1992年の巣立ちの異常、撮影者観察者が増えたためのアオバズクの変化、餌についての4項目に分けて説明する。
1. 巣立ちの様子アオバズクは4月中旬には当地に来ているが声が聞こえるのみでねぐらは見つからなかった。雄が営巣木を見張る位置に、日中もずっと止まっているようになった日を抱卵開始日、夜間に採餌のため短時間外に出る他はずっと樹洞の中にいた雌が日中に1日中外に出て巣を見張るようになった日を、孵化したヒナが自分で体温を維持できるまでに育った日と判断した。アオバズクは抱卵開始より53日で巣立つと言われるが(清棲 1978)、当地では年によって多少のずれがあり57日が多かった。抱卵、抱雛を終えた雌が終日巣の外へ出るようになってから巣立ちまでの日数は、19〜20日であった。最後のヒナが巣立つのはそれよりも2〜5日遅れた。1993年は巣の中に3羽のヒナがいたがその内の1羽は目立って成長が遅れていて、結局巣立ったヒナは2羽だった。後日巣の中を調べたが残りの1羽の残骸は無かった。
| 状況/年 | 1991 | 1992 | 1993 | 1994 |
| ヒナの数 | 2 | 4 | 3 | 3 |
| 抱卵開始から最初の巣立ちまでの日数 | 53 | 48 | 57 | 57 |
| 抱雛を終えてから最初の巣立ちまでの日数 | 20 | 15 | 19 | 19 |
| 巣立ち終了から終認までの日数 | 5 | 4 | 7 | 7 |
| 巣立ち前の気温の順位(4年間中) | 2 | 3 | 4 | 1 |
2.1992年の巣立ちに見られた異常予定された日より5日も早くヒナが巣立ちした。1991年までに観察した7羽の巣立ちの場合は、翌朝には親の近くの枝に止まっていたが1992年のヒナは2日たっても枝をつかむだけの脚力が無く地上に居たため、やむを得ず鳥かごに入れて保護し人間が給餌して力をつけさせてから親に戻さざるを得なかった。
ヒナの巣立ち1週間ほど前から羽をむしっただけで胴体を食べていない蛾の死体が営巣木から離れた場所にも多数落ちるようになった。撮影者からの聞き取りで分かっただけで、門限を無視して境内に入り込み、夜間に巣穴に向けてストロボ撮影をした人は6人、一晩でフィルムを7〜8本使った人もいた。そのうち巣穴を2台のライトで照らしストロボ撮影をした人が1人。巣穴の真下に仰向けに寝転がって親が来る度にストロボをたいた人が1人、合計7晩撮影をしたということである。3.撮影者,観察者が増えたためのアオバズクの変化
観察者、撮影者は最高の時には約200uの所に32台の三脚が林立するほどであった。またそれらの人の熱中した様子に引きつけられて集まった一般の人達の興奮したざわめき等も頻繁であった。1994年には撮影者がのべ98人、観察に来た人がのべ226人、つられて騒いだ人が400人以上であった。
ほとんど人が来なかった1990年までと、人が集まり始めた1991年以降のアオバズクの変化としては以下のようなことが目立った。
日中ほとんど眠っていたのが、日中ほとんど起きており人の出入りの減る夕方以降にやっと眠るようになった。
雌が抱卵を始めてからヒナが巣立ち終わるまで雄は巣を見守るように止まっているがその位置が営巣木のすぐ横の木から、営巣木の後ろよりの木に変わり高さは以前より約50p低くなった。このため雄は直接巣を見張ることはできなくなったが、集まる人達が巣の真下に立つことが極度に減った。
巣立ったヒナの止まる位置は地上5m位だったのが20m以上になった。
巣立ったヒナはまだ脚力が弱く、木の枝に腹と首をつけうずくまる姿勢をとることが多かったが、人の集まらない雨の日以外はほとんどこの姿勢をとらなくなった。
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人が集まる前は親子ともに左下の矢印の位置に止まっていたが、1991年以降は右上の矢印の所に止まるようになった。 | ![]() |
4.餌について1993年、1994年共、ヒナの巣立ち以前にはヒナが受け取り損ねたため巣穴の真下に落ちていた物以外には、調理済みで食べられていない餌は1つも落ちていなかった。1995年には糞・ペリット・食痕は調査区域内で1つも発見できなかった。アオバズクが食べていると分かったものは、蛾・甲虫・セミ・それ以外の昆虫・小鳥類・アブラコウモリ・ヒミズ等であった。ヒナが孵化した6月下旬頃から食痕が増加する。増加の割合は気温が高かった1994年の方が1993年より多い。特にセミの発生は1993年は1994年より12日遅れたため1993年の7月中はほとんど食べられていない。食痕中の蛾の種類については雨で鱗粉が流れ、同定できなかった物を除いて31種類あった。全数を大きさ別に調べると、大型(開張8センチ以上)が84%、中型(8−6センチ程度)が6%、小型(6センチ以下)が10%だった。食痕中の甲虫の各部位を上翅が100%になるように換算し、有るはずの量に対しての比率を計算すると上翅が100%、下翅が13.2%、頭が61.5%、胴体の殻が60%、脚が14.5%であった。これはペリットの中に甲虫の脚が多かったことと合致する。鳥の羽はヒナが孵化した頃から急に見つかるようになった。1993年はスズメ 12羽、ツバメ 8羽が目立つ。1994年はスズメが17羽と最も多くツバメは1羽しか食べられていない。おそらく1993年にはアシ原にツバメのねぐらがあったのではないかと考えるが確認はしていない。1994年と1995年にはアシ原にツバメのねぐらは無かった。
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(紫が1993年 紺が1994年)
考察
1.1992年の巣立ちが早まった原因
1993年は記録的な冷夏であったが、3羽の内1羽が巣立ちまで育たなかったのは餌の不足が原因と思われる。1992年は巣立ち前の気温が低かった。
●は一番子の巣立ち日
1991年が緑
1992年が赤
1993年が紫
1994年が紺したがってアオバズクの餌となる昆虫類の発生も例年より多いとは言えない。1992年はヒナの数が4羽と観察期間中で最も多く、餌の必要量も多いはずである。したがって日数が増えることはあっても、減ることは考えられない。
雌が終日外に出るようになってから最初の巣立ちまでの日数が1992年に限って、15日とかなり短くなっている。
1992年に食べられていない餌が散乱していたのはストロボの光に驚いた親鳥が取り落とした物と思われる。
以上の点を考えあわせて、1992年の早すぎる巣立ちは、親を待って巣穴の入り口に立ったヒナがストロボの光に驚き、巣立つつもりもなく巣の外へ落下した。人間の行為が原因となった繁殖妨害であると言うことができる。2.保護対策とその効果
@.人間の行為に対する見張りの実施
1992年の異様な巣立ち以後、アオバズクが居なくなるまで2人で8時〜18時の間実施。
1993年は3人で68日間、1994年は21人で66日間、8時〜18時まで実施。
1991年と1992年には最後のヒナが巣立った晩にヒナが1羽ずつ行方不明になった。翌日以降はわりに人馴れしていた親鳥が異様に人を恐れて逃げ回ること、ヒナの羽が一枚も散っていなかったことから捕食された可能性より密猟の可能性が強いが証拠は無い。密猟を恐れて、1993年と1994年は巣立ちの約10日前からアオバズクが居なくなるまで、上記の他に4時〜8時、18時〜21時の見張りを追加した。その結果ヒナの行方不明は起きなかった。A.立入禁止の綱を張った
営巣木のまわりに綱を張り、住職・日本野鳥の会神奈川支部・金沢野鳥クラブ連名の「立入禁止」の看板と、「ストロボ撮影自粛のお願い」の立て札を立てた
。 1992年はヒナが異様な巣立ちをした翌日から最後の巣立ちが終わるまで。
1993年と1994年は巣立ちの約2週間前からアオバズクが居なくなるまで。
その結果、綱を無視して中に立ち入った撮影者はそれぞれの年に一人ずつ居ただけであった。ストロボ撮影をする人は居なくなった。アオバズクの親は日中に目を閉じる時間がわずかではあるが増えた。最後の巣立ちが終わってから7日間巣の近くに一家が留まった。これは観察を続けた6年間で最高の日数であった。B.プレートの取り付け
1993年4月に巣の下側に「子育て中です ストロボ撮影しないで」と書いた4×12センチのプレートを接着剤で張り付けた。プレートの下側には反射テープを貼りストロボに反応するが車の前照灯には反応しない角度になるように工夫した)。
プレートを小さくしたのはアオバズクが気にしない様に、何も気付いていない人に邪魔にならない様にと考えたからであるが、望遠レンズで覗けばはっきりするので写真としては絵にならなくなり悪質な撮影者を防ぐには十分な大きさであった。
その結果、1993年以降は巣に向けてのストロボ撮影は無くなった。
付 記 アオバズクのような夜行性の鳥にとって営巣場所はヒナの安全のために近くにいなくてはならないのだが、 同時にねぐらでもある。鳥を見たいから、鳥を撮りたいからと人が集まりすぎる事はアオバズクに多くの負担を負わせることになり、時には繁殖を阻害することにもなりかねない。鳥の生活を考えて自分の行動を自粛できる人が増えることを心から願っている。
なお、撮影者の中には「そんなに心配することはない。見られるのが嫌ならどこかへ行きますよ」という意見もあったが、見張り役の雄が止まる場所を変え巣から人間を離したこと、巣立ったヒナが止まる位置を高く変えたこと、アオバズクが居なくなるまで綱を張り続けた1993年,1994年は巣の近くを離れるまでの日数が増えたこと、繁殖の期間以外には人目を避けて森の中に隠れていること等、アオバズクが人に騒がれることを嫌っていることを示唆している。したがって鳥に我慢させておいて「逃げないから良いのだ」式の発想は慎むべきである。
謝辞 観察および保護活動に多大のご理解ご協力をたまわった住職さんご一家、食痕・糞・ペリット等の同定をご指導下さった浜口哲一氏、ペリット等の標本作製の方法をご教示下さった藤田薫氏、保護活動に協力して下さった御近所の方々・「市民の森愛護会」・「金沢野鳥クラブ」・「日本野鳥の会神奈川支部」・「横浜自然観察の森友の会」・「アマナの里を守る会」の皆さんに心から感謝いたします。
引用文献 阿部正行,小島規嗣,升岡昭司,楠芳子,1979.アオバズクの観察.野鳥,393:361-365.
飯村武,1984.アオバズクの生殖生態に関する知見.神奈川自然誌資料,5:44-49.
清棲幸保,1978.日本鳥類大図鑑U,講談社,東京.
谷口一夫,1983.繁殖期におけるアオバズクの残し餌について.Tori,32:145-152.
冨田良雄,1990. 古都の夏に生きる.アニマ,215:49-55.
要約 1. 1989年から1994年までアオバズクの繁殖を観察した。
2. 1996年、1994年については食痕・ペリット・糞を採集し調査した。
3. 1991年からストロボ撮影をする人が増え始めた。
4. 1992年の巣立ちはその他の年と比べ5日も早く巣立ったが、巣立ったヒナが2日経っても 枝につかまることもできなかったり、ヒナの巣立ち以前にも調理しただけで食べられていない餌が散乱していた等の異常が見られた。
5. 1992年のアオバズクの巣立ちは、撮影者、観察者の多さ、特に夜間のストロボ撮影による繁殖妨害がのため不自然に巣立ちが早まったものと判断した。